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基本情報
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住所 |
宮崎県宮崎市谷川町天神山公園 |
五畿八道 令制国 |
西海道 日向 |
アクセス |
JR日南線南宮崎 徒歩14分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
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創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
天神山稲荷神社御由緒
当社のその正確な由来は不明であるが、全国の稲荷社の由来から考えるに、その多くが主祭神を稲荷大神とし、「稲荷」とは「稲成り」を語源とすることから、農業を司る神として敬われており、この大淀川南岸地域の農作物の豊穣を願って、総本社である京都・伏見稲荷神社から勧請したものであることが想像される。
稲荷大神は「古事記」においては宇迦之御魂神(ウカノミタマノミコト)と称され、「宇迦」が穀物・食物を意味していることが知られている。当社が宮崎天満宮の摂社として鎮座されているその位置関係を思うと、天満宮の主祭神である菅原道真の御行跡における、農民たちの保護とも決して無関係とはいえないであろう。
菅原道真公は仁和二(八八六)年に讃岐守(現在の香川県の自治責任者)として赴任したが、当時の讃岐国は気候が不順で稲や穀物が安定して収穫できなかったと言われる。特に仁和四(八八八)年は夏に入っても雲が現れず、雨が全く降らない年であった。池の蓮でさえ全て枯れてしまったほどであった。そこで、道真公は、自らの持つ詩才を用いるのはこの時とばかりに長編の詩文を作って雨乞いの祭文として作り上げ、人民のために心を込めて雨を祈ったのであった。
そのような領国の豊穣、そして人民の幸せを祈る道真公を祀る天満宮の摂社として、この天神山稲荷神社が鎮座していることは、大変意義深い。
日向国谷川鎮座 天神山稲荷神社
一、御祭神 稲荷大神
一、御創建 不明
一、御利益 五穀豊穣 商売繁盛
一、御祭典 例祭 十一月二十三日
天神山八坂神社
当社のその正確な由来は不明である。祇園神を祀る神社の総本社である京都祇園・八坂神社を当地に勧請したものと思われるが、同じ境内に鎮座されている天神山稲荷神社との関係が深そうである。
八坂神社とはそもそも複数の神を合わせ祀った御社である。その神とは、牛頭天王・八柱御子神・少将井の宮であるといわれ、牛頭天王は別名を素戔嗚尊(スサノヲノミコト)と申し上げ、稲荷大神の子である。また、八柱御子神とは素戔嗚尊の姉である天照大御神の五男三女神のこと、そして、少将井の宮とは櫛名田比売(クシナダヒメ)のことで、後に素戔嗚尊の妻となる。
このように稲荷神社の主祭神である稲荷大神の子である素戔嗚尊と関連が深い祇園神をお祀りすることは自然なことであったと見てよい。稲荷神社が豊作を願い、また、そこから商売の神様として信仰を集めたことから判断するに、八坂神社に人々がかけた願いは健康や長寿であったろうと思われる。各地の八坂神社が素戔嗚尊をお祀りし、素戔嗚尊が疫病退散の神様として信仰を集めていたことから、おそらくは当地の病や禍を祓う役目を担っていたのであろう。
日向国谷川鎮座 天神山八坂神社
一、御祭神 素戔嗚尊・八柱御子神・櫛名田比売
一、御創建 不明
一、御利益 疫病退散 厄除 家内安全
一、御祭典 例祭 六月十五日 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
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最終
更新者】いろはにほへと
【
最終
更新日時】2024/09/06 13:30:28
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