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基本情報
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鳥居建立之碑
阿諏訪の龍谷山に鎮座まします雷電神社は大雷神・天照皇大神・大山咋命を祀り疱瘡稲荷神社は豊受気比売命を祀る
創建は後土御門天皇御宇寛正乙酉年(一四六五)八月吉日と伝へる
長い星霜に木造の鳥居は朽ち神々の居坐す社の入口の標としては憂慮に耐へず郷党人志を一にして浄財を寄進し御影石明神鳥居二基を建立した
茲に記念碑を建立し後世のため芳名を併せ録する
昭和六十年三月八日地鎮仝四月十四日竣功
撰文宮司紫藤啓治
埼玉県選定重要遺跡
竜ヶ谷城跡
昭和五十一年十月一日指定
外秩父山地から連なる山並みの東端に位置する竜ヶ谷山は、東に広がる毛呂台地を一望できる標高約二〇五mの山です。その山容は斜面が険しく、周囲の山々から独立した孤島のような形をしており、かつては要害山とも呼ばれていました。この地形を活かして築かれた中世の山城が竜ヶ谷城です。
竜ヶ谷城の構造は、山頂の雷電神社付近の一の郭、社務所や神楽殿が建つ平場に造られた二の郭、二の郭から南西方向に延びる細長い尾根に設けられた三の郭から形成され、郭の周囲の斜面には腰郭や竪堀が備えられています。
江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には、竜ヶ谷山について 「瀧谷山 要害山とも書す 上り十町許の山にて瀧野入村の境にあり 昔阿彌和巳之助と云る者の陣屋ありし處なり...」と城を治めたといわれる人物について記されています。
地域の伝承では、竜ヶ谷城では合戦がおき、水の手を絶たれた城方が、城内の窮境を悟られぬよう白米で馬を洗う様子を攻め手に見せた、と伝えられています。
謎の多い竜ヶ谷城は、地域では字名に由来した「龍谷山城」の名称でも親しまれ、毛呂山の中世史を彩っています。
平成三十一年二月 毛呂山町教育委員会

【 最終 更新日時】2021/01/15 21:49:22