みんなの御朱印
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの参拝記録
0
109
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
| 住所 |
埼玉県北葛飾郡杉戸町下高野台西2-7-13 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス |
東武日光線杉戸高野台 徒歩6分 |
| 御朱印授与時間 |
|
| 電話番号 |
|
| FAX番号 |
|
| 公式サイトURL |
|
| 御祭神 |
経津主命 |
| 創建・建立 |
|
| 旧社格 |
旧村社 |
| 由来 |
境内掲示板
香取神社
祭神 経津主命
祭儀 例祭四月十五日 十月二十日
当社の創建年代は明らかではないが、本殿に安置されている石造の十一面観音像に延宝三年(一六七五)の銘がある。また、当地は元和・寛永年間(一六一五~四三)の開発と伝えられているので、およそその時期と思われる。
当社は上新田の鎮守であったが明治五年の社格制定に際し村社となった。昭和五十九年区画整理にともない現在地に移転した。
境内には、宝暦年(一七五三)銘の稲荷大明神と疱瘡を免れることを祈って祀られた疱瘡神がある。
杉戸町教育委員会 |
| 神社・お寺情報 |
境内碑
碑文
ここ上新田地区は、杉戸町の最西北端に位置し、杉戸町の総面積二九・六四平方キロのうち、旧高野村は、田二・一八平方キロ、畑一・一三平方キロの、稲作を主とする静かな純農村であり、上新田は農家戸数二十一戸、人口約百人、全戸が専業農家であったが、日本経済の変転に伴い、兼業農家へと変化の道を歩んできた。
たまたま、昭和四十五年、杉戸町は、首都近郊都市として、目覚ましく発展を遂げるため、教育と文化の香り高い緑の住宅都市を目標に、この上新田を含む、大字茨島、大字下高野、大字下野の地域を、大規模な市街地にしようとする計画を、発表したのである。
そして、この計画が実施に移され、完成の時には、新駅が設置され、市制の施行も見込まれるという、町始って以来の、画期的な事業計画であった。
だが、この計画は、数百年も農業で生きて来た地区住民にとって、農業を捨てなければならないということで、土地に対する格別の情や生活上の不安など、地区住民の心を複雑にしたのである。
そこで、家族と今後の生活上の懸念について話し合うと共に、地区としても、計画に対する対応を審議するため、会議を開催したところ、議論百出し、会議は数十回にのぼったのである。
しかし、上新田地区住民は、杉戸町百年の大計を積極的に理解し、他地域に先駆け、賛意を表すと同時に、その実現に率先協力することにしたのである。
昭和五十四年に、住宅都市整備公団により、工事が開始され、進展するに従い、家屋、墳墓、集会所、神社、樹木の移転等、地区住民の出費も多大となった。
さらに、これまで、生活の基盤となっていた農地も、地区の全町歩が宅地に転用され、農業の継続を断念せざるを得なくなり、地区住民の生活は一変することになった。
ところで、この上新田地区は、戦国時代に、先人達の力で開墾されたと伝えられ、香取神社は、当時の人々が、五穀豊穣と、地域の繁栄を願って勧請し、村の守護神として、奉祀して来たものである。
しかし、この度の、一大事業計画により、遷座のやむ無きに至ったので、天授に従うと共に、今後の平穏を祈り、厚き神慮に報いるため、上新田地区住民一同の浄財をもって、社殿を一新したものである。
よって、此処に、記念碑を建立し、将来への限りない希望をこめて、後人に伝えるものである。
昭和五十九年三月吉日
杉戸町助役 矢島正男 撰文
小林〇晴 謹書
内田 勇 刻 |
| 例祭日 |
例祭四月十五日 十月二十日 |
| 神紋・寺紋 |
未登録
|
| 更新情報 |
【
最終
更新者】ムンク
【
最終
更新日時】2024/05/20 22:00:26
|
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々は
こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社・お寺
近くのお城
神社・お寺検索
※は必須です
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録は
こちら。