みんなの御朱印
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの参拝記録
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
大分県玖珠郡玖珠町森 |
五畿八道 令制国 |
|
アクセス |
JR久大本線豊後森 徒歩35分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
|
FAX番号 |
|
公式サイトURL |
|
御祭神 |
源為朝 |
創建・建立 |
|
旧社格 |
|
由来 |
角埋山は、昔から霊山として人々の信仰対象の山であった。角埋神社は源為朝を祀る。鎮西八郎と称された為朝は、久寿2年(1155)には、豊後国におり、この角埋にも拠っていたと伝えられている。 保元の乱に敗れた為朝は、治承元年(1177)(別説に嘉応2年とも)に、伊豆の大島で没したともいうが、この地で逝去したとの説もある(松信の天祖神社縁起)。のちに、山麓の住民は為朝公の威徳を慕って、神像を彫り社殿を建て公の霊を鎮祭した。 鎌倉時代の作といわれるその神像は、昔火災にあって焼損し、東の岩下に納められている(焼不動さんという)。 安永8年(1779)に、第6代森藩主・久留嶋信濃守通祐は、新たに神像を彫刻させ(右足の六指は為朝故事という)、社殿を再建し、祭典、修理等は藩が行い、森村産土神社(鬼丸にあった妙見宮で、明治5年に末廣神社に合祀)大宮司が兼勤奉仕していた。 江戸時代には藩主の館は今の三島公園にあり、戦国時代に島津藩の猛攻に耐えて、その名を挙げた角牟礼城は廃城となっていた。 藩では角埋山に巡監をつけて、人々の立ち入りを禁じていたが、3月3日(旧暦)は、祭日として参拝を許していたということである。 桃の節句の不動さんのお祭りは、今では4月の第1日曜日に毎年行われている。なお、現在の社殿は昭和37年に、老朽化のために再建されたものであり、平成3年の19号台風で、境内の樹齢数百年の大杉が倒れ、社殿の一部が破損、物置が全壊した。 |
神社・お寺情報 |
|
例祭日 |
|
神紋・寺紋 |
未登録
|
更新情報 |
【
最終
更新者】じゃすてぃ
【
最終
更新日時】2022/02/15 17:13:38
|
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々は
こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社・お寺
近くのお城
神社・お寺検索
※は必須です
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録は
こちら。