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基本情報
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住所 |
東京都台東区西浅草1-6-7 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
東京メトロ銀座線稲荷町 徒歩2分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0338445358 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
真宗大谷派 |
創建・建立 |
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由来 |
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神社・お寺情報 |
境内掲示板
織田得能墓
台東区西浅草一丁目六番七号 宗恩寺
織田得能は、明治時代の真宗大谷派の僧侶。わが国初の仏教の辞典「仏教大辞典」を著した人物として殊に有名である。
万延元年(一八六〇)福井県坂井郡波寄村(現、福井市)の翫香寺住職である生田氏の三男として生まれる。郷里で教員をつとめたのち、真宗大谷派の高倉学寮で仏教学を修め、明治二十三年、島地黙雷とともにインド・中国・日本の仏教史を述解した「三国仏教略史」を編纂し、翌年宗恩寺第二十四世住職となり、織田姓を名乗った。また、同三十三年には、岡倉天心とともに、インド・中国の仏跡を訪ねまわり、その見識をさらに高めた。
「仏教大辞典」の執筆は、明治三十二年から、得能が亡くなるまで、宗恩寺の土蔵の中でただ一人の力で続けられた。生存中には刊行されることはなかったが、大正六年、彼の原稿を元に、上田万年・芳賀矢一・南条文雄・高楠順次郎によって刊行され、後学に大きく貢献した。
彼の遺骸は、当時境内の歴代住職墓に合葬された。平成六年十月には、得能の筆「念佛成仏」の四文字を模刻した頌徳碑を建立した。
平成七年三月
台東区教育委員会 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2025/05/01 21:51:47
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