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基本情報
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住所 |
奈良県香芝市下田東4-5 |
五畿八道 令制国 |
畿内 大和 |
アクセス |
JR和歌山線香芝 徒歩3分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
大日如来 |
宗派 |
真言宗 |
創建・建立 |
735(天平7)年頃 |
由来 |
高野乙継卿が隠居寺として創建。 平安時代、弘法大師が堂宇を増築し三十八社神を奉祠。境内や堂宇を整備。傍丘山 法楽寺と称した。故に弘法大師の創建とも言われる。 弘法大師が高野山より平安京へ上洛途中の宿坊となっていた。 第52代嵯峨天皇より寺禄50石と法楽寺山を下賜された。 かつて法楽寺座と称する座衆が存在。1332(元弘2)年の頃、鹿島神社の結鎮座と合体し、結鎮荘厳等年中行事の儀式祭典が盛行され、大和三法楽寺の一として著明であった。 戦国時代永禄(1558 - 71)の頃、下田又次郎友夏等の戦乱の為、堂宇や寺宝は兵火によって焼失。以後寺運は衰退。 江戸時代以降は小堂の本尊大日如来の法灯をようやく継ぐことを得た。 明治維新の際、太政官告によって廃寺となると共に大宇下田の保管となる。 次いで明治6~7年頃新道(現在県道下田上中線)開通の為、境内は東西に分断。弘法大師の遺品も散逸し荒廃の一途を辿る。 現在は小堂に本尊として大日如来を安置。大日堂と称し、大日講の人々が誠心奉仕に勤めている。 堂後にある五輪塔の残缺は創立当時の唯一の遺構であり、三本の老松と共にわずかに昔の面影を伝えている。 |
神社・お寺情報 |
無住。 現在は公園と併設。 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】けんぢ
【
最終
更新日時】2022/03/25 17:40:15
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