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★★★★ 参拝日:2020年2月23日 15:43
駐車場有
★★★ 参拝日:2019年12月20日 14:15
参拝日:2019年9月19日 00:00
★★★★★ 参拝日:2015年9月23日 00:00
御朱印帳〇
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 東京都中央区東日本橋2-6-8 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | 都営浅草線東日本橋 徒歩1分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0338666220 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | https://www.yagenborihudoin.com/ |
御本尊 | (葛籠)不動明王 |
宗派 | 真言宗智山派 |
創建・建立 | |
由来 | 御本尊(不動明王)は、崇徳天皇の代、保延3年(1137)に真言宗中興の祖と仰がれる興教大師・覚鑁(かくばん)上人が、43歳の厄年を無事にすまされた御礼として一刀三礼敬刻され、紀州・根来寺(ねごろじ)に安置されたものです。
その後、天正13年(1585)、豊臣秀吉勢の兵火に遭った際、根来寺の大印僧都(だいいんそうず)はそのご尊像を守護して葛篭(つづら)に納め、それを背負ってはるばる東国に下りました。そして、隅田川のほとりに有縁の霊地をさだめ、天正19年(1591)、そこに堂宇を建立しました。これが現在の薬研堀不動院のはじまりです。 その後、明治25年(1892)より川崎大師の東京別院となり現在に至っています。また、順天堂の学祖と仰がれている佐藤泰然(たいぜん)が、天保9年(1838)に和蘭(オランダ)医学塾を開講した場所でもあります。 |
神社・お寺情報 | 関東三十六不動・第21番札所
御府内八十八箇所・第23番札所 川崎大師平間寺の東京別院 境内碑 薬研堀不動尊 納めの歳の市之碑 川崎大師平間寺貫首大僧正隆天書 碑陰の記 遠く江戸時代の中頃より江戸の街では十二月に入ると各地で歳の市がたった 歳の市とは 門松 〆縄飾り 羽子板等の正月用品を売る市と云う かって東京の歳の市は十二月十四十五日の深川八幡に始まり 浅草観音 神田明神 芝の愛宕神社 平川湯島の両天神を廻わって最後は二十八日の薬研堀不動尊で終り 特にこの市を薬研堀不動尊納めの歳の市と言われた 初めの頃は梅の盆栽が売られ梅の市とも呼んでいた 戦前は何十軒もの羽子板屋が不動院門前に並び 横町には神佛具 臼 杵 まな板 ざる 箒等の迎春用品の露店が出店し 当時の千代田小学校の通りには「かき市」が立ち 〆縄飾り 門松 竹 海老 こんぶ等が威勢よく売られ 身動き出来ぬ位の人出に下町情緒豊かな歳末風景がみられた 先の大戦の頃は戦火の拡大と共に一時中断してしまい 戦後なんとか復活させたものの時勢に合わずさびれる一方であった 時移りようやく昭和四十年 地元の町会商店会の有志が是非とも江戸以来の伝統行事下町の風物詩をしっかりと後世に残すべきと「薬研堀不動尊 歳の市保存会」を組織して同時に近隣問屋街とも協賛し 衣料品 日用雑貨等を市価の半額で販売する「大出庫市」を併催することとなり 苦心経営の末 最近になってようやく往時の賑わいを取り戻すことが出来た 有り難いことです 又 想いめぐらせば 戦前戦後を通して 本院の大本山である川崎大師平間寺の厚い ご加護を一貫して賜ったことも復興への銘記すべき事柄である 本年は大出庫市を併催して丁度三十年の節目に当たるので 歳の市の復活に情熱を燃やした先人達を偲び 此の町の今日までの歳の市への過ぎ越し方をこの碑に留め一つの証とする 平成八年四月十五日 藥研堀不動尊 歳の市保存会 境内碑 順天堂發祥之地 天保九年(西曆一八三八年)順天堂始祖佐藤泰然この地に和蘭醫學塾を開く |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2025/05/01 21:29:10 |