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★★★ 参拝日:2023年9月12日 10:55
★★★★★ 参拝日:2023年2月25日 11:28
★★★ 参拝日:2022年6月4日 06:16
参拝日:2021年12月31日 13:26
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 埼玉県新座市野寺3-11-34 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | 西武池袋線ひばりヶ丘 徒歩19分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0424-71-0873 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | https://takeshino-jinja.org/access/ |
御祭神 | 誉田別命
境内掲示板 武野神社境内祭神配置図 ●稲荷神社 祭神 倉稲魂命・・五穀豊穣、商売繁昌、家内安全 ●小石祠 富士仙元宮 祭神 木花開耶姫命・・安産、子育て ●本殿 祭神 誉田別尊・・開運、厄除け、家内安全 応神天皇・・交通安全、緣結び 配祀 面足命・・旅行安全、交通安全 惶根尊・・交通安全 ●御嶽神社 祭神 大己貴神・・緣結び、商売繁昌、家内安全 少彦名神・・病気平癒 ●小石祠 祭神 疱瘡神・・病気平癒 ●旧本殿 厳島神社 市杵嶋命・・安産祈願 須賀神社 素戔嗚尊・・縁結び、厄除開運 御嶽神社 大己貴神・・福徳円満、縁結び 少彦名神・・病気平癒 |
創建・建立 | |
旧社格 | |
由来 | 武野神社の創建年代は不詳ながら、かつては八幡社と称し、満行寺とともに十二天村にあったといいます。源義家が前九年の役で東征の際に、当社で戦勝祈願し、社を北向きにしたといい、康平6年(1063)には社殿が修復されたといいます。明治41年に栗原の浅間社を始めとする八社を当社に合祀、武蔵野と野寺より武野神社と社号を改めたといいます。
境内掲示板 武野神社 御由緒 別当野 当社 新座市野寺三-一一-三四 御縁起 (歴史) 野寺の地名は当地の満行寺の通称「野寺」に由来する。 当社は八幡山と呼ばれる丘陵の山上に祀られ、その崖下に旧別当満行寺がある。満行寺は元は隣村の十二天村に所在し、その当時の様子を『風土記稿』は「その比は七堂伽藍甍をつらね、鎮守正八幡宮又白山権現・稲荷・富士浅間辨天以下三十余座の末社及び三百所の坊中僧侶充満して、念誦の聲断ざりしとぞ」と記している。いつのころか今の地に移された際に正八幡宮も共に遷座されたものであろう。八幡山の麓から湧き出る清水は古くからこの辺り一帯の耕地を潤しており、耕地の安泰を願って水源のあるこの山上に祀られたと推測される。 社伝によれば、永承六年(一〇五一)に起った前九年の役に八幡太郎義家は父の頼義に従って安倍氏の反乱を鎮めるために奥州に向かった。その途次当社に立ち寄って戦勝を祈願し、社殿を再建して北向きとした。下って寛永十五年(一六三八)に社殿を再建した際に名主村田善左衛門が銅板の棟札を寄進し、更に宝暦八年(一七五八)には地頭小野佐渡守が社殿の造営を行ったという。 明治四十一年に栗原の浅間社を始めとする八社を当社に合祀したのを機に武蔵野の「武」と野寺の「野」を採って武野神社と改称した。 古くから魔除け、安産に御神徳があり、八幡太郎義家にみられるように戦いの神としても古くから信仰されております。 御祭神と御神徳・応神天皇... 交通安全、厄除開運、家内安全 御祭日・例祭(九月十五日) 境内掲示板 武野神社(旧八幡社) 武野神社は明治四十一年に、栗原村の浅間社、石神村の氷川社など近郷の五社を、野寺村の八幡社と合祀して新たに建立された神社です。 武野神社のあるこの地は、古くは誉田別命を祭神とする八幡社の社地でした。 八幡社の創建年代は不詳ですが、江戸幕府が編纂した地誌書『新編武蔵風土記稿』によると、社殿の修復を平安時代の康平六年(一〇六三)におこなったと記しています。 また、源義家が奥州遠征の途中、この八幡社に立ち寄り戦勝を祈願したと伝え、その際に社殿を再造して北向きに建てたとも伝えています。 現在、社殿の東側に安置されている旧八幡社の本殿は、寛永年間の建立と伝えています。 江戸時代の初期に幕府によって作られた「正保の絵図」には、八幡社参道下の湧き水とそこに祀られる辨天社が掲載されています。 平成四年九月 新座市教育委員会 新座市文化財保護審議委員会 新編武藏風土記稿 新座郡野寺村 八幡社 除地下ニ載ル辨天ノ社地及別當寺境內トモニ三町餘 村內南ノ山上ニアリ 別當ハ滿行寺ナリ 彼寺ノ門ト當社ノ入口ト相對ノ閒ニ路アリ 入口ハ寅卯ノ方ニ向フ 石階九級ヲ登リテ纔ノ平地アリ 此所ニ鳥居ヲ立 左右ニ石燈籠アリテ 又三級ノ石階ヲ登リテ二十六七步ヲ行ケハ左右ニ老杉アリ 爰ヨリ又六七步奧ニ北ニ向テ石階アリ 十六級ヲ登リテ此前ニ至ル 拜殿 三閒ニ二閒 本社 二閒ニ三閒ニシテ茅葺也 滿行寺緣起云 當社鎭座ノ年歷ハ多クノ星霜ヘ經テ詳ナラサレトモ 祭神正八幡ハ本地三尊阿彌陀佛ニテ 行基菩薩神龜元年ノ作也 康平六年ニ社ノ修復アリ 其比ハ屋根モ瓦葺ナリト云傳フ 當時ノモノト見ヘテ今ニ此山ノ邊ニテ古瓦ノ碎タルモノヲ拾ヒ得ル事アリ 長治二年源義家奧州征伐ノ時 當社ヘ賊魁貞任宗任等調伏ノ立願アリ 此時本社ヲ再造シテ北向ニ作リシヨリ今ニ至リテ同シ向ナリ スヘテノ神社北向ナルモノナシ 日本國中ニ此社トモニワツカ三社アリト云ヘリ サレトコノ寺傳年代相違セリ 古書ヲ閱ルニ賴義ノ貞任等ヲ誅セシハ康平五年ノ事ナリ 又寬治五年ニ義家家衡武衡ヲ滅ス 長治ハ寬治五年ヨリ十五年ノ後也 事蹟全ク合ハス 緣起ノ妄誕シルヘシ 辨天社 (除地八幡ノ條下ニ云所ノ如シ)八幡ノ山下ニアリ 小祠ナリ 勸請ノ年代ハ詳ナラサレト正保ノ比ノ田圃ニコノ祠ヲ載タレハ 此比ハ已ニ鎭座アリシ事シルヘシ 是モ滿行寺ノ持 |
神社・お寺情報 | 御神燈 寛政十戊午天十一月吉祥日(1798) |
例祭日 | 9月15日 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2025/09/27 16:30:21 |