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基本情報
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住所 |
埼玉県鴻巣市下谷484 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR高崎線北本 徒歩31分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-542-6445 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
素盞嗚尊 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
□御縁起(歷史)
鎮座地の下谷は、『鴻巣宿深井家譜』に「六郎次郎景高下谷にて戦死」と見え、かつて地内にあった熊野社の天正十一年(一五八三)の鰐口の銘にも「武州上足立下谷宮」と彫られていたように、戦国期には既に開発され、一村をなしていたと思われる。その後、元禄年間(一六八八~一七〇四)までに北下谷村・中下谷村・南下谷村の三か村に分かれ、明治四年に再度合併して一村になった。
この下谷全体の鎮守として祀られてきた神社が当社であり、『風土記稿』南下谷村・中下谷村・北下谷村の項には「永川社 南下谷にあり、三村の鎮守なり」と記されている。当社の境内は、実際には北下谷の地内にあるため、この『風土記稿』の記事の中の「南下谷」は、「北下谷」の誤りではないかと思われる。
一方『明細帳』によれば、当社は宝永七年(一七一〇)に再建され、明治六年村社に列せられたことや、同八年一月五日に消失したが同年五月二日再建されたこと、明治四十年に西中曽根の村社永川社など六社を合祀したことなどがわかる。その後は昭和二十八年に拝殿と本殿覆屋が新築された。更に昭和四十一年には台風で参道の両側に並び立っていた杉の大木のほとんどが倒れてしまったが、後に植樹が進められ、現在は立派な杜となっている。なお祀職は明治期から千葉松彦、松村秀清、伊藤千代守、桜井清、桜井守年と継いでいる。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
元旦祭(一月一日)。春祈祷(四月四日)。天王様(七月十四日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2018/01/08 19:10:01
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