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基本情報
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住所 |
埼玉県秩父市蒔田2167 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
秩父本線大野原 徒歩26分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0494-23-9235 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
・天下春命 ・大己貴命 ・猿田彦命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
椋神社 御由緒
秩父市蒔田二一六七
◇秩父国造の祖、天下春命を祀る社
当社は古くから秩父の穀倉地帯であると共に交通の要所でもあった。蒔田の地名は「牧田」すなわち、隣接する野卷(野牧) の耕作地を意味するとの説があり、水田地帯としての古さは隣地区にある上蒔田の椋神社に古い御田植神事があることから知られよう。天下春命は八意思兼神の子で秩父国造、秩父彦命の祖である。
永禄十二年(一五六九)に武田勢本郡侵入により当社も焼失し、社領も没収され、神主生駒壹岐の家も断絶したという。天正十年(一五八二)武田家滅亡後、家臣荻原常陸介昌勝の曾孫、九郎次郎が当社を拝し、「永正二年八月備前長船裕定」銘のある太刀を納め以後神主として代々奉仕した。
明治初期、秩父郡にある椋神社五社の間に式內社論争が起こり、知事の裁定により五社を合わせて式內社とした。
宝暦十三年(一七六三)造営の本殿には神宝石と称する石棒と神像を安置する。 |
神社・お寺情報 |
市指定無形文化財
中蒔田椋神社の神楽
秩父地方に数多い神楽も、その由来や舞の型態等によって、いくつかの系統に分かれます。なかでも古風な舞をもち、盆地内に広く分布し、その主流をなしているものは秩父神社系神楽 です。
この秩父神社の神楽も幕末から明治の一時期にかけて、後継者不足から休止のやむなきに至ったといわれ、その断絶を憂えた秩父神社の神楽師佐野宗五郎は、蒔田椋神社祠掌設楽一貫と計り、椋神社氏子に伝授したと伝えられています。
明治七年三月の「太々神楽装束勧進録」には、「天朝庚平区內安全五穀成就氏子一統開化進步へ時勢ニ不渡戶々家々為繁栄祈念年々祭日永代太々神楽を奏する事」。とみえることから明 治七年には既に伝授されていたものと考えられます。その後座や舞の変革はほとんど行われていないので、当時の秩父神社神楽の形態を伝えるものといえます。
昭和四十七年四月六日指定
秩父市教育委員会
境内碑
拜殿社務所改築記念碑
當社は祭神天下春命大己貴命猿田彦命を祀り往古より延喜式内の社として崇敬篤く世々氏子の支柱として現在に至る
然るに近年社殿並に社務所等の老朽著しく里人深く恐懼憂いてこれが改修を相諮り浄財を奉り茲に竣工を見るに至る
即ち旧形を一新しその威容尊厳は神域に燦たり
茲に社運の隆昌を祈り改築を記念し刻誌する所以である
新井重勝敬書
昭和四拾二年三月十五日竣工 |
例祭日 |
平成20年3月23日(3月の第4日曜日)神楽奉納
・元旦祭(一月一日) ・節分祭(二月三日) ・例大祭(三月第四日曜日) ・八坂祭 (七月最終日曜日) ・秋祭り(九月十五日) ・新嘗祭(十一月二十三日)(勤労感謝祭) ・大祓・焼却祭(大晦日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2021/09/18 08:30:49
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