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基本情報
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住所 |
埼玉県さいたま市見沼区深作2-15-2 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
東武野田線七里 徒歩21分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-756-1507 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
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創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内碑
合祀移転碑
埼玉縣武藏國北足立郡春岡村大字深作の地の字々に齋ひまつり鎮のまつりし數多
の社々の大神等〇霊徳を蒙り村民崇敬し奉りしを過きし明治三十九年八月 勅令
を拜承し氏子の諸人むら肝の心一つに○協せ事議りに議りて明治四十一年六月廿
二日おほやけの御許しを得て同年九月二日村社氷川社に字稲荷台稻荷社字貝崎白
山社字新原白山社を併せ祀り同年六月三十日またみ〇る〇ありて同年九月廿五日
を以て本社の境内地に移轉せし各無格社は字本村神明社字貝崎八幡社字本村第六
天社字原日枝社字戸崎三嶋社字諏訪台諏訪社字岡野浴稻荷社字本村菅原社等を各
社ことに鎮め奉りしことゝなりぬ茲に明治四十四年三月陸軍大臣寺内正毅閣下よ
り戰利兵器奉納記を相添へ戰利品は砲弾丸四個角匙壱個を獻納せられたり又明治
四十四年八月十日當社は神饌幣帛料供進を指定せられぬ斯て大神等 大朝廷を始
め氏子の家々子孫の八十連屬に至るまて恩頼を蒙らしめ給へと乞ひのみつヽ氏子
一同敬神の意を表し廣前に合祀及移轉の記念碑を建築し千代萬世に傳へむとてか
くしるすになむ
大神のみちからあはせ産子等を千代萬世や守りますらむ
廣前にたちて萬世石ふみ〇ゝ母にしるせし名こそ残らめ
官幣大社氷川神社宮司從五位勲六等中島博光篆額
大正三年五月一日 正八位磯部重浪七十六翁撰幷謹書 |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
大宮市指定無形民俗文化財
深作ささら獅子舞
指定 昭和三三年五月十五日
祭礼 八月二七日(現在は八月第四土曜日)
氷川神社境内諏訪神社に五穀豊穣を祈って奉納されるもので、江戸時代からこの地に伝えられています。
境内の土俵に四本柱を立て、大きな紺の天幕を張った中で、獅子三頭・天狗一人が、竹製の楽器ささらや笛の音に合わせて勇壮な舞を見せます。法螺貝の音で始まる道行・初庭と後庭の二度の舞、ユーモラスな動きの天狗に花笠が彩りをそえ、見る人を楽しませます。
この獅子舞は、後継者が減り一時跡絶えました。その後保存会が結成され、深作に住む長男に限られていた獅子役も誰でもが参加できるようにして、昭和五八年に復活しました。獅子の頭を飾る羽根を確保するため、保存会で鳥(新潟県の蜀鶏)の飼育も始めました。都市化の進む中、この深作がふるさととなる新たな担い手たちによって、ささら獅子舞は深作の財産として受け継がれています。
平成四年三月
大宮市教育委員会
新編武藏風土記稿
足立郡深作村
氷川社 村ノ鎭守ナリ 覺藏院ノ持 社邊ニ庵ヲ作リ覺藏院ヨリ僧ヲオヒテ社ヲ守ラシム 末社 山王社 稻荷社 多賀社 八幡社 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/05/05 11:59:27
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