みんなの御朱印
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの参拝記録
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県さいたま市西区佐知川1305 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR川越線指扇 徒歩25分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
048-624-9742 |
FAX番号 |
|
公式サイトURL |
|
御祭神 |
・金山彦命・金山姫命 |
創建・建立 |
|
旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
金山神社 御由緒
さいたま市西区佐知川一三〇五
▢御縁起(歴史)
当地は荒川の自然堤防上にあり、地名の由来は傾斜地・日向地を表すサジの縁に当たることからサジカワとなったという。
また、「清河寺文書」の応永二十九年(一四二二)の足利基氏寄進状には「佐知川」の文字が見えることから、室町時代には既に村があったことがうかがわれる。
当地に金山神社が祀られた理由として、鍛冶や鋳物師との関係が考えられる。これを裏付けるものとして、当地の発掘調査において平安時代の住居跡などからは、鉄製品や金屎が出土しており、更には、太平洋戦争中の食糧増産のため、陸田に地下水を汲み出して水田にしたところ、地下五メートルから九メートルにある砂の層から鉄分を多く含んだ水が出て、汲み置くと赤くなったり、稲の根の周りが赤くなったという。これらのことから、当地で製鉄・鍛冶・鋳造などを行っていた集団が居住していた時代があったことが推測される。
往時の別当は、天台宗の金生山覚蔵院正覚寺(明治六年廃寺)で、西側の代官堀を隔てて、覚蔵院跡がある。
境内には、天神社・八雲社・琴平社・厳嶋社・日枝社・八幡社と明治四十年に合祀した字前の神明社、同境内社の三王・荒神・稲荷・御嶽・水神の五社、字前の第六天社、字後谷の一本松稲荷社がある。
境内掲示板
金山神社
佐知川一三〇五~一番地
佐知川上の人々がお守りする社です。創建の詳しいことはわかりませんが、祭神に金山彦命、金山姫命を祀り、明治六年(一八七三)に村社に列せられました。境内には天神社をはじめとする十三社が祀られています。金山神社は一般的に鍛冶職人が信仰する神社とされています。近年の発掘調査で佐知川から水判土へ至る台地上の古墳跡や、県道沿いで検出された平安時代の住居跡から鉄製品が出土しているので、これら鉄製品を作った職人達の集団が金山神社を祀ったのではないかと推測できます。なお、隣接する金山堂では円哲と彫られた仏像群が発見されています。
神社わきを「代官堀」と呼ぶ江戸時代初期に開かれた水路が流れています。井戸尻(プラザ)の水を排水し、水田化するために関東郡代伊奈備前守によって開削されたのでそう呼ばれています。今は都市排水路となり、水もよどみがちで昔の面影は失われてしまいました。金山堂境内道路際には江戸時代半ばの元禄七年(一六九四)にたてられた庚申塔があります。プラザを造成する時に移されたもので、今も「村はずれの庚申様」と信仰されています。
平成元年十月
大宮南西ロータリークラブ
境内碑
神社合祀記念
明治三十九年八月有神社合祀之令植木村大字佐知川
村社金山神社氏子一同胥謀其翌年五月四日遵行焉以
無格社神明神社大六天神社一本松稲荷神社並末社三
玉社稲荷社荒神社御嶽社水神社稲荷社遷於村社金山
神社境内崇敬彌厚祭祀無惰盖合神祠者所以淳敬神信
念也則神明亦必將賜加護矣
昭和十三年一月
勲八等 関根諧藏撰文
勲八等 森三之助謹書 |
神社・お寺情報 |
|
例祭日 |
・定例日(四月七日) ・天王様(七月第二土曜日) |
神紋・寺紋 |
未登録
|
更新情報 |
【
最終
更新者】ムンク
【
最終
更新日時】2021/12/12 19:31:15
|
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々は
こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社・お寺
近くのお城
神社・お寺検索
※は必須です
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録は
こちら。