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さとしパパさん
2019年4月6日 13:01
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基本情報
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住所 |
埼玉県幸手市北3-10-19 |
五畿八道 令制国 |
東海道 下総 |
アクセス |
東武日光線幸手 徒歩21分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0480-43-3151 幸宮神社 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
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創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内碑
熊野神社
幸手市北3-10-19(大字権現堂字瀬戸)鎮座
熊野神社と権現堂という地名の由来
当社の創建は天正年間(1573~92)と伝えられ、古くは熊野権現社と号した。順礼伝説の起こりである享和二年(1802)の大洪水により古記録等も流出し、現在の社殿は文政八年(1825)に再興されたものである。
江戸時代後期に編纂された「新編武蔵風土記稿」権現堂村の項に「村内に熊野、若宮、白山の権現を合祀せし旧社あれば、この村名起これりと云う」とあり、村内の権現三社を合祀した古い神社から「権現堂村」という名になったことが記されている
境内掲示板
熊野権現社
熊野権現社は、紀州(和歌山県)の熊野権現社の分社で、権現堂村や権現堂川の名の起りでもある。もとは、熊野権現、若宮権現、白山権現の三柱の神を合祀した神社でもあったという。
この附近は、江戸時代から大正時代にかけて権現堂河岸の船着場として栄えたところで、神社には、船主や、船頭、江戸の商人等からの奉納品が数多く保存されている。明治二十八年に奉納された権現堂堤修復絵馬は、幸手の絵馬師鈴木国信の作で、内務省の役人の監督のもとに、地形築きや土端打ちの女人足が揃って作業を行っているところを描いている。当時の治水技術を知る上で貴重な資料となっている。
また、境内にある庚申塚は自然石に刻まれたもので、このあたりでは珍しいものである。
昭和六十三年三月
埼玉県 幸手市
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神社・お寺情報 |
境内掲示板
権現堂堤修復絵馬
権現堂堤は、江戸時代から治水政策に大きな役割を果たしていました。「権現堂堤が切れると東京中が水浸しになる」と言われ、明治二十六年(一八九三)に大規模な修理が行われています。
熊野神社に納められている権現堂堤修復絵馬には、そのときの工事や、当時の河岸場(舟運の荷揚げ場)の様子が色鮮やかに描かれています。明治二十八年の奉納で、願主は「工事仕立人 武内大次郎」となっており、工事の無事完了を感謝したものと思われます。
幸手市教育委員会
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
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最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2020/01/04 14:36:23
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