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基本情報
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住所 |
埼玉県上尾市柏座2-14-2 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR高崎線上尾 徒歩7分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-725-2069 八枝神社 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
天児屋根命、素戔嗚尊、大山祇命、建御名方命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
春日神社
所在地 上尾市柏座二丁目
春日神社は、明治四十一年(一九〇八)五月に、上尾町のうち柏座、谷津、春日谷津にあった芝宮社、春日社、氷川社の三社が合祀されたもので祭神は天児屋根命、素盞嗚命、大山祇命、建御名方命である。本殿は昭和十八年に、拝殿と幣殿は同四十六年に造営した。
「新編武蔵風土記稿」の柏座村の項には「芝宮明神社、村の鎮守なり」とあり、谷津村の氷川社の項に「当社は谷津、宮下、別所、向山、本郷等の鎮守なり」と記されている。
また、明治九年刊の「武蔵国郡村誌」によると氷川社は、谷津村の中の「宮下村飛地」内にあったという。なお、宮下村の村名については、「新編武蔵風土記稿」に「いま谷津村にて司れる氷川社、もと当村の持にして近村の総鎮守なれば、その宮ありしをもって名とせりという」と記されている。
昭和六十二年三月
埼玉県
上尾市
春日神社
上尾市柏座二-一四-二
祭神・・・天児屋根命、素戔嗚尊、大山祇命、建御名方命
創建は、戦国末期、忍城主成田下総守の家人であった曾我兵庫助祐昌が当地に住していたことから、主君成田氏の氏神として祀っていた行田市谷郷の春日神社を勧請したものであると考えられている。
「風土記稿」柏座村の項には、村の北方の丘にあった曾我氏の居館跡について、歌舞伎で知られる曾我十郎・五郎兄弟に付会して伝承された様子を載せている。
また、同書には「芝宮明神社 村の鎮守なり、日乗院の持、末社神明社」「春日社 当村および春日、谷津村の鎮守なり、持前に同じ、末社諏訪社」と二社が見え、当社は江戸期に柏座及び春日、谷津村の鎮守であったことがわかる。ちなみに、春日、谷津村はもと柏座村の内にあり、元禄期ごろに分村したとの経緯がある。
別当の日乗院は、真言宗の寺院で、西光山長福寺と号する。かつては一〇石の朱印地を有し、元暦二年(一一八五)道法上人の草創、あるいは永正元年(一五〇四)弘尊の開基とも伝えられる。
明治初年、当社は村社となり、同四十年八月、芝宮社と合祀した。更に翌四十一年三月、谷津の鎮守氷川社を合祀したのを機に、柏座のほぼ中央に当たる芝宮社の旧境内へ鎮座地を移した。この時、氏子が春日社の旧社殿を神輿のように担いで運んだという。春日社の跡地は今も「宝前前」という地名が残る。
昭和十八年に現本殿を造営し、同四十六年には、拝殿及び幣殿を新築した。
春日神社造営の碑
春日神社は勅令に基づき明治四十一年五月上尾町西部の柏座 谷津 春日谷津の鎮守芝宮社 春日社 氷川社の三社を合祀して春日神社と称し祭神に天兒屋根命、素盞嗚尊、大山祇命、建御名方命を斎き祀ってある
往古から三郷の氏子は敬神崇祖の念篤く和を以って農業を励み平和な楽土建設に精進してきた 偶々昭和十八年氏子の総意に依って神域を拡め本殿を造営し社務所を新築し更に昭和四十六年拜殿と幣殿を造営し茲に無窮の神徳に感謝の誠心を捧げた
古来吾国は神国と称し吾等の祖先は敬神崇祖の大義を尚ひ力強い伝統に依って輝かしい文化を築いて来た
幸にして吾等はこの郷土に生を享けこの淳風美俗を重んじて来たが更にこの美風を子孫に伝え長く国家の隆昌と郷土の繁栄を希求するものである
昭和四十六年十一月三日
上尾市長 下里光徳撰文
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神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ロビン
【
最終
更新日時】2024/01/06 17:34:27
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