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基本情報
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住所 |
埼玉県皆野町金崎1377 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
秩父本線上長瀞 徒歩4分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0494-62-1650 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
・知知夫彦命 知知夫姫命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
金崎神社 御由緒 露
皆野町金崎一〇九
◇国造 知知夫彦命・知知夫姫命を祀る神社
当社は、現在十二天山の南東、字岩下の旧八坂社境內地に鎮座しているが、以前はここからやや西に寄った社中山の中腹に鎮座していた。社中山は宝登山の裏手に当たり、そこからは国神方面が一望できる。
社記によれば、当社は本郡の旧跡である国造知知夫彦命・知知夫姫命の古塚近くの山にあり、古墳の祭神二柱を祀っているところからこの塚とは縁があるという。また、『新編武蔵風土記稿』には、 野栗社 諏訪社 貴船社以上三社合殿、村の中程、村の総鎮守、 無年貢地、例祭七月二十七日、神主宮前主計」とあり、当社は初め、野栗三社権現と称し、三社合殿で祀られていたが、大正期には既に氏子の間では、野栗社と貴船社の事は忘れられ「お諏訪様」とのみ呼ばれていた。
明治四十年(一九〇七)に字馬場の八幡社、字岩下の八坂社・天満天神社、字瀬戸山の十二社大神社・稲荷社、字腰の大山祇社を合祀し、同四十三年(一九一〇)に村社となった。
社名はこの時、村名をとって金崎神社とした。更に、昭和五十三年(一九七八)には現社地に遷座して、今日に至っている。 |
神社・お寺情報 |
境内碑
金崎神社遷宮記念碑
知知夫彦命が詔を畏み国造として秩父に降ったのは第十代崇神天皇の御代とされている清き荒川と豊かな大地自然の美に恵まれた秩父がここに拓かれ産業文化の創造が始められた秩父の基を礎かれた命の偉績は真に大である盆地の東端眺望の地字国神に本郡著名の旧跡国神塚があり知知夫彦命知知夫姬命の墳墓と伝えられ近くに古き大銀杏が天高く聳え立っているここより東方社中山には古来野栗三社権現が在ったが明治維新の際村名を社号とした金崎神社に改称し知知夫彦命外十九柱を祭神に境内神社七社を祀った神社所蔵の鏡に安元二年由エ門とあり刀には野栗三社宝前元久二年乙丑九月納主新右エ門の銘があることから野栗三社は八百年以上の古社であった事が解る社中山が地辷り地帯に在り社殿が老朽したので之を奥社とし八坂神社跡地に新社殿を造営し新しく知知夫彦命外二十三柱を本斎する神神は知知夫彦命、知知夫姫命、野槌神、高龗神、應神天皇、素戔嗚尊、菅原道真、句句廼馳命、軻遇突智命、埴山姫命、金山彦命、罔象女命、磐裂神、経津主神、根裂神、大己貴命、少彦名神、神直日神、倉稲魂命、大山祗神、建御名方神、事代主命、別雷神、火産霊神其御神徳は広大であり祭礼に奉納する獅子舞も由緒あるものである昭和五十三年四月十四日遷宮祭を記念し本事業奉賛者名を左に記し感謝の意を表するものである
昭和五十三年十月吉日
金崎神社社殿建設委員長 新井巻治
金崎神社代表役員 宮司 田島平八部
新編武蔵風土記稿
秩父郡金崎村
野栗社 諏訪社 貴船社 以上三社會殿村ノ中程村ノ總鎭守 無年貢地例祭七月廿七日神主宮前主計 |
例祭日 |
・元旦祭(一月一日) ・節分祭(二月上旬) ・春祭り (四月中旬) ・夏祭り (七月中旬) ・秋祭り (十月上旬) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2022/09/10 19:55:48
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