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基本情報
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住所 |
埼玉県鴻巣市広田3814 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR高崎線北鴻巣 徒歩59分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-554-5926(行田八幡神社) |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
日本武尊 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内碑
本殿改築記念
篆額 衆議院議員 青木正久書
当社鷲栖神社は古くより広田の氏神として尊崇せられその社殿は元
禄十四年八月武蔵の国足立郷箕田村の棟梁喜三郎の一番弟子捨之亟
によって竣功したものであります その規模はまことに簡素 精巧
優美でありまして爾来永く氏子一同の敬神の心情を満足せしめて参
りました然るところ惜しくも昭和四十一年九月廿五日颱風廿六号の
ため本殿幣殿は三百余年の古神木転倒に伴い倒潰して昔の姿は影も
ない有様となりました 氏子一同は恐懼に堪えず相倚り相計り新し
く神殿の建築を企画致しましたところ仝村は勿論他郷地にある本村
出身の方々も溢る熱意をお示しになって御賛同をして下さいました
そこで当地の棟梁今井昌雄建築士に本殿幣殿拜殿等の建築を依頼し
今般めでたく同処に竣工をいたしたものであります
茲に謹んで当社殿建立のいわれを記して永く敬神崇祖の実が高まる
ことを祈念するものであります
昭和四十二年十月十四日 撰文鈴木仲次郎
社殿等移設記念碑
川里村村長 川邉先書
抑々当鷲栖神社の御祭神は、東夷征伐を成し遂げられた
国土開発の神第十二代景行天皇の皇子日本武尊を始め十
六柱の神々を奉斎し、この広田の郷の鎮守の神として崇
敬されて来たのであります。御社殿創建の次第は詳らか
でありませんが今を去ること約二百八十二年前東山天皇
の御代元禄十四年八月に再建されたと記録されています
遠く流れて絶ゆることなく氏子の数敬心は時折の営繕に
長年の護持にその誠心を表わし奉仕を続けてまいりました
然るところ県道北根菖蒲線が境内地と斜めに縦断する事
となり、神楽殿の下は道路敷地となり御社殿を始め総べ
ての建築物を移築しなければならず神社の尊厳維持と
諸要経費は如何になすべきか全く不安にからわれる毎日
でありましたが幸い氏子一同の理解のもと、県費を以て
小川工業株式会社にその施工を依頼し今般工事を完了し
たのであります。茲に謹んで郷土の興隆発展と、併せて
氏子一同の繁栄を祈念して永く後世に伝うる為記するも
のであります
昭和五十八年十月吉日
撰文宮司松岡仁一 |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
鴻巢市指定無形民俗文化財
広田のささら
昭和五十年十二月十九日指定
広田のささらは、別名「龍頭舞」といい、頭に龍頭をかぶって舞う獅子舞である。
この獅子舞は、寛永十六年(一六三九)七月二十七日より地区内の諏訪神社で始められたと伝えられている。その後、明治四十二年に諏訪神社が鷲栖神社に合祀されてからは、獅子舞は鷲栖神社の神事として毎年十月十五日の大祭に、五穀豊饒と悪魔除けを祈願して奉納されている。
鷲栖神社には、寛政六年(一七九四)、忍藩の寺社奉行牛久保藤蔵にあてた獅子頭の水引幕に絹使用の許可をもとめた「絹物使用嘆願書」の文書が残っている。
獅子舞は、棒使いによる「花棒」と三頭の獅子による「龍頭舞」の二部作で構成されている。花棒には、二十通りの演目がある。龍頭舞は、前半 ”女獅子隠し”をテーマにした物語が展開され、後半では歌舞を中心とした舞になる。
広田のささらは、江戸時代より今日にいたるまで地区の行事として伝承され、人々に親しまれている民俗芸能である。
平成八年十二月
鴻巢市教育委員会
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】zx14r
【
最終
更新日時】2025/01/05 15:28:41
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