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基本情報
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住所 |
埼玉県所沢市南永井406 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR武蔵野線新座 徒歩32分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
素盞鳴命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
八幡神社<所沢市南永井四〇六(南永井字北平)>
鎮座地南永井は市の東部にある農業地帯である。寛永四年には上総国志井津村から甘藷の種芋を移した所で、「甘藷の碑」があり、当地草分け四代目吉田弥右衛門の功を讃えている。
村の草創は延宝年間に上州新田郡下田中村の(吉田)市郎左衛門なる者が、この地に入り開墾したのが始まりで、当社は市朗左衛門が屋敷神として祀っていたものを、寛永年間に一村を成した折、社殿を再建し、鎮守としたと伝え、社記にも「延宝年間まで鎮守なかりし処上州新田郡下田中村八幡の配札を以て勧請し当村の鎮守とす」とある。
また、群馬県新田町においても『下田中村の考察』(斎藤清「新田町史談会」六七号所載)に吉田氏の先祖が三河国から移り住み、更に、元禄年間所沢に移り、この時に八幡社を分祀したことが伝えられていると記されている。
当社の祀職は、古くはこの吉田氏が携わっていたとされ、当社に隣接する吉田家は“堂脇”と呼ばれ、現在社殿裏(以前は現社務所の位置)にある薬師堂の管理も行っていた。(「埼玉の神社」より)
境内碑
南永井八幡神社の由来
当社は元禄年間(1688~1703)に創立された。
元々、この土地は近世(安土桃山時代【1568】~江戸時代【1867】)に新たに開拓された土地で、貞享(1684~ 1687)の頃に、上州(群馬県)新田郡下田中村の市郎左衛門(いちろうざえもん)の三人の息子達が父親からの命を受け、初めてこの土地(南永井)に米て開墾を始めた。その後一、二年して父である市郎左衛門が この地を訪れ、新田若宮八幡の神霊(神のみたま)を奉戴(慎んで頭にいただくこと)し、この地の氏神様として現在の境内に小さな祠(ほこら)を建立しそこに収め、この地の開拓が成功するように誓って、三人の息子を励ますと共に、開拓事業のために助け合うことを当社の草創(はじまり)の起源とした。
その後、この地に移住し開発に従事する者が年々増加し、ついに、一つの村を形成するまでになった。
1748~50の頃、社殿を再建し鎮守(その土地を守る神様)として崇敬(すうけい=尊敬)した。
明治五年社格(神社の格式)のご制定によって、指定村社(やしろ=神社)になった。その他については不詳である。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ムンク
【
最終
更新日時】2025/02/09 09:56:17
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