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みんなの参拝記録
★★★★ 参拝日:2024年1月16日 00:00
★★★★ 参拝日:2019年1月27日 00:00
宮司様はちょうどご祈祷中でしてが、奥様が丁寧に対応していただきました。
参拝日:2025年3月30日 00:00
★★★★ 参拝日:2025年3月1日 15:55
手水場はセンサー式だが電池が切れてるのか手を近づけても水は出なかった。 かせんというお酒がお供えされている。
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 東京都福生市福生1081 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | JR青梅線「福生駅」 徒歩5分(福生消防署前) |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 042-551-4899 |
FAX番号 | 042-551-4899 |
公式サイトURL | http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/nishitama/fussa/5484/ |
御祭神 | 天照皇大神(あまてらすおおみかみ) 伊邪那岐神(いざなぎのかみ) 伊邪那美神(いざなみのかみ) 禰津波能売神(につはのめのかみ) 豊宇気比売神(とようけひめのかみ) 大山咋神(おおやまくいのかみ) 菅原道真公(すがわらみちざねこう) |
創建・建立 | 不詳 |
旧社格 | 村社 |
由来 | わが福生神明社は、明治7(1874)年当時各町会に祀られていた五柱の神々とともに七祭神を合祀した神社で、地域の安らぎを始め治水、産業、学問、衣食住等各方面にわたり功徳の高い神社であります。
先年、氏子崇敬社等相寄り、相図って巨額の浄財を寄進。 各地の粋を集めて、昭和57(1982)年秋、近代的かつ荘厳優雅な「み社」を造営し、弥々御神徳の発揚顕現を只管願っております。 明治7年(1874年)の神寄せで合祀された神社は、以下の通りである。(※参考資料:『福生町史』『福生市史』他) ◾️神明社 御祭神は天照皇大神。元は加美の新堀橋西側、現在は金毘羅大権現がある場所に八雲神社(天王宮)とともに鎮座していた。旧別当は宝蔵院(廃寺)だが、明治2年(1869)当時の住職が復飾して神明社の神職となった。明治6年(1873)村社に列格。 ◾️両体明神社 御祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊で、元から長沢の現社地に鎮座していた。安永2年(1773)の『真光仏言夢物語』には、福生村が開かれたとき、草分けの浪人・清水但馬らが長沢に両体権現を祀り、本地薬師如来を迎えたとある。『日本歴史地名大系 東京都の地名』によれば、古来、村の緊急時には薬師堂で会合が行われたという。 ◾️天神社 御祭神は菅原道真。加美にあり、神明社と同じく宝蔵院が別当を務めていた。天神講が営まれ、神寄せの後も社は護持されている。 ◾️堰上明神社 御祭神は弥津波能売尊で、『新編武蔵風土記稿』にある関上明神社のことと思われる。風土記稿によれば、昔、洪水の時に流れ着いた御神体を村人が古堰の上で見つけ、堰と関は読み方が同じであることから関上明神として祀ったという。 ◾️稲荷社 御祭神は豊宇気比売尊。『新編武蔵風土記稿』に「小名原ヶ谷戸ニアリ」と記されている。享和3年(1803)以前、原ヶ谷戸組16軒の鎮守として勧請したという。 ◾️熊野山王稲荷三社合殿 大山咋尊が三社のうちの山王社の御祭神に相当すると思われる。伊弉冉尊が熊野社、豊宇気比売尊が稲荷社の御祭神で重複しているのかも知れないが、未確認。 ◾️八雲神社 御祭神は素盞嗚尊。江戸時代までは天王宮と称し、御祭神を牛頭天王としていたが、明治元年の神仏判然令により改められた。元は加美の神明社境内に祀られていたが、明治7年(1874)の神寄せの際に両体権現社(新しい神明社)境内に遷座し、昭和47年(1972)本社の社殿が新築された際に合祀された。 夏の八雲祭は八雲神社の祭礼で、古くは天王祭と称していた。多数の神輿や山車が繰り出し、福生を代表する祭となっている。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | 9月19日 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】龍太郎 【 最終 更新日時】2023/07/30 14:27:13 |