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基本情報
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住所 |
神奈川県海老名市杉久保1844豊受大神 |
五畿八道 令制国 |
東海道 相模 |
アクセス |
JR相模線社家 徒歩25分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
046-238-4973 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
天照皇大神 ( あまてらすすめおおみかみ ) |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
[参拝の栞] 由緒沿革 一、神社名 豊受大神 二、鎮座地 海老名市杉久保一八四四 三、御祭神 豊宇気毘売神 四、祭事 歳旦祭・交通安全祈願祭 一月一日、 祈年祭(春祭) 二月十七日、例大祭 十月九日・十日、七五三祝 十一月十五日、 新嘗祭(秋祭) 十一月二十三日 五、由緒・沿革 豊受大神は古来相模牧遠馬名神の霊跡でしたが推古天皇の六年豊受皇太神騎馬の御姿にてご降臨されてより皇太神ご東行の処として此地をその鎮の宮と定められた。 これより後聖武天皇の神亀二年(七二五年)勧請、遠馬名神豊受大神と称し相模国の名神大社に列せられ、のち遠馬三郎時国のとき遠馬十二ヶ村の総氏神としてあがめられた。江戸時代幕府の社寺改めによって恩馬郷四ヶ村の総鎮守豊受皇太神と尊称、明治元年新政府の社寺分離令により社号を豊受大神と改称した。 御神殿は始め御陵を御神体と崇め拝殿のみであったが、のちこれを改めて内殿の創建が行なわれた。また治承四年七月渋谷重国と遠馬三郎時国公によって神門・社殿その他が新しく造営されたが幾多の兵乱に類焼し再建を重ねてきた。 これより先仁明天皇の承知八年御陵より天照皇大神をご遷座した。奉幣は重陽九月九日、内宮は九月十日と定められた当時の御神域は後陵の伊勢山及び御神林御廟地をあわせて五万六千余坪といわれた。 沿革について棟札によると 享保七年九月造立。明和六年九月修覆。寛政九年九月修造。文政七年九月再建。天保十五年九月再建。慶応二年九月再建(本殿)。明治十一年十月拝殿修造。明治二十一年十月修覆。大正三年九月拝殿修覆。大正五年四月修覆。大正十三年二月修覆。昭和二年修覆。昭和二十三年十月拝殿屋根葺替(瓦葺)、向拝新造。昭和三十一年二月本殿屋根修覆。昭和三十七年十月本殿屋根改築。昭和四十八年十月大鳥居再建。昭和四十八年二月拝殿屋根修覆。昭和六十年十一月拝殿、幣殿改築(木造神明造)。昭和六十年十一月本殿屋根葺替(銅板葺)。昭和六十年十一月手水舎新築。昭和六十一年三月神輿殿新築。昭和六十一年九月御神輿奉献。 六、境内地 一町五反二畝二坪(四五六二) 七、氏子数 三五〇戸 八、社殿 本殿 神明造(木造銅板葺平屋)一、五坪。幣殿(木造銅板葺平屋)六坪。拝殿 神明造(木造銅板葺平屋)十五坪。境内 神楽殿 木造亜鉛鉄板葺切妻 二七坪。神輿殿 木造銅板葺平屋 八坪。手水舎 木造銅板葺 一坪。(含社殿)神饌所〇、九五坪 祭器庫〇、九五坪。九、社務所 木造平屋亜鉛葺 二八、七五坪。十、末社 寄宮五社 山王宮、琴平宮、三峰社、厳島大神、秋葉大神。十一、内宮社 天照皇大神。その他 奉納絵馬三面(市指定重要文化財)江戸期の絵馬 江戸の絵師及当地の絵師 金指恵山作鵺退治の図 以上 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】管理者
【
最終
更新日時】2013/02/01 00:00:00
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