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参拝日:2025年3月30日 00:00
参拝日:2024年7月13日 00:00
★★ 参拝日:2024年3月31日 00:00
参拝日:2022年5月21日 00:00
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 福井県丹生郡越前町小曽原91-1 |
五畿八道 令制国 |
北陸道 越前 |
アクセス | |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0778-32-2038 |
FAX番号 | 0778-32-3285 |
公式サイトURL | http://www4.ttn.ne.jp/~kotohira |
御祭神 | |
創建・建立 | |
旧社格 | |
由来 | 社伝によれば、古来出雲地方で氏神として祀られていた大國主大神、事代主大神が故あって当地方に奉遷され、海岸に険しく突き出た山並を別け入った処、此の地を鎮座に相応しい処と定め社が草創されたのが起こりであると言われる。一舟乗安命が(生年不詳)延宝3年没(一六七五)此の山を霊山幡ケ山と呼んだ事が伝えられている。以来9代に亘り護持されたが1700年代になり、享保16年(1731)百年来の大雪、享保17(1732)飢謹が発生し、天災、疫病、兵害に加えて過酷なまでに行われる弾圧を受る庶民の苦境はあたかも生地獄の如くであったと伝えられる。心を痛め深く庶民の暮らしを思い時の宮守高原正信大人命は諸国の修験地を巡り祈りを捧げる苦難の道に身を投じたと言われる。天文元年(1736)7月讃岐国金刀比羅宮に詣ぞた夜、神の啓示を受けた事から数多く讃岐詣を行ない、御社殿を建立し御分霊を勧請し安永2年(1772)合祀し金比羅神社として氏戸区域を持たない社としての存立を果したのである。当社では高原正信大人命以前を区別して古社の時代と言うが、大國主大神をお祀りする古社に御同一神である金比羅大神(大物主大神)が人々を苦境から救い新たな力をお示し下さるとして広まり近隣からの信仰を受ける事になった。海上守護神であるところの大神の御神徳を慕う越前町、越廼村、河野村の北前船の船主や漁業、海運に携わる人々を中心に護持された。沿岸には海難事故に遭遇した時、霊山幡ケ山の方に向かい手を合せ祈りを捧げたところ御神光の如くが出現し、それに導びかれ帰還する事ができたという御神徳を称える伝説が多く残されている。また江戸時代後期北海道開発にあたって建造された大野丸(大野藩)には当社の御分霊が守護神として祀られた為大野郡から乗組員が二晩泊りで参拝を続けた事もあった。古社の存立以来当山宮は、いつの時代にあっても参拝者の心の拠所としての形態を守り執権者の保護を受けない大衆の信仰の社として護持されている。かつて当山宮では数度の御造営が行われたが、昭和37年山頂への自動車道の開設をみた事、駐車場の整備、参集殿の建築が参拝者に、より大きな利便を与える事となった。昭和64年より「昭和・平成の御造営」が進められ従来の本殿・拝殿という建築様式が本殿、祝詞殿、内拝殿、拝殿、外拝殿という甍を連ねる御社殿となった。「提灯相撲」倹約令の公布により、武生市安養寺村にあった陣屋の代官から、楽しみ事は夜間行えとの通達があったが、奥深い山中での神賑わいであるので、夜を模して行うは可なりとの粋なはからいによって、人情味あふれる裁きが出て、境内で直径二米余の大提灯、小提灯の数々を吊って行ったことから提灯相撲と呼ばれた。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | 例 祭 7月10日特殊神事 提灯相撲 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】わくたまくん 【 最終 更新日時】2018/07/17 05:35:47 |