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★★★★ 参拝日:2022年10月3日 10:40
駐車場あります🚘 御朱印は社務所にて直書き(300円)で対応していただきました🤗
★★★ 参拝日:2022年10月3日 10:35
★★★ 参拝日:2020年4月23日 14:00
郷社。 鳥居参道は南側。 駐車場は鳥居左手の奥にありました。 住宅街のご鎮座ですが、緑が多く境内地もゆったりとした感じで落ち着きを感じます。 お子さん連れの方がお詣りにいらっしゃっておられ、少しほっこりしました。 社務所にて御朱印をいただきました。
★★★★ 参拝日:2018年9月9日 00:00
15:30頃でしたが御朱印は対応していただけました。
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住所 | 愛知県西尾市伊文町17 |
五畿八道 令制国 |
東海道 三河 |
アクセス | 名鉄西尾線西尾口 徒歩6分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://www.katch.ne.jp/~ibun/ |
御祭神 | 素盞嗚尊(スサノオノミコト) 大己貴命(オオナムチノミコト) 文徳天皇(モントクテンノウ) |
創建・建立 | |
旧社格 | |
由来 | 伊文神社はおよそ1,150年前の平安文化華やかなりし頃、第五十五代文徳天皇の皇子八條院宮が、渥美郡伊川津の地より当地へ御轉住の折に、随遷し奉祀されました。八條院宮は、文徳天皇の皇子とも弟とも云われ、朝廷の命により吉良(現在の西尾)の地を根城にして略奪を繰り返していた兼光・兼盛という二人の逆徒討伐の為、西尾の地に赴かれました。その際に屋敷の東西に御祀されていた、天王社(伊文神社)と八幡社(御劔八幡宮)を随遷されたと伝わっております。 社名については、三河國神名帳には『正三位内母大明神』と記され、天王社、天王宮、伊文山(いもやま)牛頭天王(ごずてんおう)、伊文山天王宮等と称しましたが、文政の頃には伊文山とつくと寺院の山号に紛れ易いとして、伊文社(いもんしゃ)となり、明治維新以降は伊文神社とされ、現在は「伊文さん」「祇園さん」等と親しまれています。 承久(1219~1222)の頃より、本所の総産土神、総鎮守として西尾城主を始め士民一般の崇敬厚く、城主が入部、帰城の際、及び正月には必ず参詣がありました。特に夏の祭礼はその盛大さから祇園祭と称され、神輿の渡御を中心に六ヶ町(天王町・肴町・本町・中町・幸町・須田町)の神賑行事も盛大に町中総出の賑わいで、西尾の町の風物詩として広く親しまれてまいりました。 また江戸の世になってからは、最高位である正一位を宣下賜わり、徳川幕府より朱印地十八石五斗の寄進を受けるなど益々神威を増し、祇園祭においては祭事を厳ならしめんと西尾城主より遣わされた鉄砲・弓・槍等を神幸行事に随行させ、また祭費を奉納することが通例となっていきました。 昭和54年1月1日夕刻、不慮の火災にて拝殿及び琴平社拝殿が焼失するも翌年には御社殿再建委員会が組織され、委員各位の弛まぬ努力と氏子崇敬者の素晴らしきご厚志により、コンクリート造の御社殿として見事に復旧いたしました。 |
神社・お寺情報 | 月 日付 行事 1月 1日 歳旦祭 7日 七草粥振舞い 4月 初旬 祈年祭 6月 30日 夏越しの大祓い 茅の輪神事 7月 15日 祇園祭(例祭) 神幸祭 神輿渡御 8月 下旬 御劔八幡宮大祭 12月 初旬 新嘗祭 毎月1日 月次祭 毎月15日 月次祭 御焼納祭を奉仕しております |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】かつ 【 最終 更新日時】2023/05/07 22:34:12 |