みんなの御朱印
(カツさん)
3 御朱印日:2024年12月10日 10:18 |
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(zippoさん)
20 御朱印日:2023年10月8日 00:00 |
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(けんちまさん)
23 御朱印日:2023年10月1日 08:48 |
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(よつばさん)
25 御朱印日:2022年11月13日 18:37 |
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(けいちゃんさん)
21 御朱印日:2021年12月5日 11:11 |
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(ラルゴ観光企画、観光バス事業部さん)
25 御朱印日:2021年10月23日 00:00 |
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(udureさん)
27 御朱印日:2020年11月21日 00:00 |
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(constantinさん)
13 御朱印日:2020年9月20日 00:00 |
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(rorexgtrさん)
16 御朱印日:2020年8月12日 16:27 |
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(rorexgtrさん)
5 御朱印日:2020年8月12日 16:27 |
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住所 | 山口県宇部市大字西万倉一七七三番地 |
五畿八道 令制国 |
山陽道 長門 |
アクセス | JR山陽本線厚東 徒歩55分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0836-67-0267 |
FAX番号 | 0836-67-0267 |
公式サイトURL | http://www1.ocn.ne.jp/~miyamori/ |
御祭神 | (主祭神)誉田別天皇 仲哀天皇 神功皇后 比売大神(配祀神)田心姫命 湍津姫命 市杵嶋姫命 |
創建・建立 | |
旧社格 | |
由来 | 当社の建立年月は不分明である。しかし、上古よりの古き御鎮座にて、平安時代の長和六年(一〇一七)の『当社記』によれば、神功皇后三韓出兵の御時、長門国に御下りになって、此地にて兵船を造らんと木を探し給うた。当地には、大へん大きな楠樹があったので、この樹を伐ろうとされた。里人は薪の無くなる事をなげいた。すると、白髪の翁が現れて、里人を諭して申すには、「舟を造りし木屑を取りて、四方にまきおきなば、終には燃ゆる石となるべし」と。皇后はたちまち四八雙の軍船を造って出陣され、戦かわずして勝利された。帰陣の後、老臣の武内宿祢に此地を与えられた。宿祢は恵み深く、この地の民はなつき従った。やがて燃ゆる石が地中より出てきたので、里人は感激し「神慮の恐れいかにすべき」と尋ねた。武内宿祢の申すには「然らば帰りて一社を建立し、我大君の御栄を祈るべし」と。里人一社を建立し、傍に武内宿祢の社まで建置き、朝暮朝廷の繁栄を祈った。又江戸時代の寛保二年(一七四二)の『萬倉三社由緒書』には、南北朝時代の文和元年(一三五二)に厚東城主越後守義武が、宇佐より八幡宮を勧請し、別府八幡宮と称したという。それまで社殿は五・六丁北の亀の甲にあったのを、其時現在地の甲山に移した。足利尊氏が東国の戦いに敗れ、主従一〇余騎にて西国に落ちのびた時、当社に参り祈願した。すると、夢に神の御告げを受け、やがて天下統一を果たすことができたという。そこで神恩報謝の為め、社領一四町と神馬と馬具をそえて当社へ奉納した。大内義興は室町時代の明応年間(一四九二〜)、社領五〇貫を奉納したが、その後大内氏を倒した陶晴賢によって、当社の社領、宝物は悉く没収された。又当社は度々火災等にて焼失したが、永禄四年(一五六一)に杉重良により再興された。現在の本殿は江戸時代の文化十三年(一八一六)、幣殿・拝殿は明治九年(一八七六)の上棟である。銅板葺替えは平成三年(一九九一)で、明治六年(一八七三)に村社となった。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】カツ 【 最終 更新日時】2025/01/02 21:25:32 |