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住所 | 埼玉県北葛飾郡杉戸町鷲巣868-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 下総 |
アクセス | |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0480380207 |
FAX番号 | 0480384555 |
公式サイトURL | https://saijuzan.jp/ |
御本尊 | |
宗派 | 曹洞宗 |
創建・建立 | |
由来 | 境内掲示板
正明寺 正明寺は、曹洞宗の寺で、山号を宰住山といい、千葉県市川市にある総寧寺の末寺である。 当寺の開基は、織田信長に桶狭間で討たれた今川義元の一族陸奥守今川源五郎氏貞の次子関口刑部少輔氏広の子孫長文が、正保年間(一六四四~一六四八)に開いたものである。関口家は、身の安全を計るため東国にのがれ、現在の大字深輪に移り、当地五百余 町を開拓し、豪族として繁栄した。 境内には、関口本家が祖先の供養のため、台座から高さ約三メートルの地蔵菩薩、観世音菩薩が安置されており、いずれも、元文六年(一七四一)と延享四年(一七四七)の建立とある。また、寛政九年(一七九七)春に建立された高さ約五メートルの宝篋印塔があり、当寺と関口家の関係の深さを物語っている。 また、寺の本堂周辺には、ヤマトシジミ等の多数の貝殻が露出していることから、正明寺貝塚と命名されている。年代は約五百メートル北西にある木津内貝塚(県下北端部の貝塚)と同時代の縄文時代前期(約6000年前)と推定されている。 杉戸町教育委員会 |
神社・お寺情報 | 鐘銘
曽洞宗宰住山正明寺従来ノ大梵鐘ハ太平洋戦争ノタメ供出シテ爾来大法器の梵声ヲ缺クコト久シ是故ニ今般檀信徒及ビ特志者ノ寄進ニヨリテ再鋳造ス是ヨリ亦梵音山川法界十方ニ響キ人心を覚醒シマシメ幽冥無辺ノ迷苦ヲ救ヒ再建日本ノ平和ト仏日無辺の慈光ヲ照來スルト請カ〇フ 以下略 境内掲示板 牛頭観音 酪農発祥三十周年に当り疾病廃用等により犠牲となった多くの乳牛の霊に感謝しその冥福を祈るため牛頭観音を酪農組合が建立した願わくは速かに獣身を脱し観世音菩薩の仏身となって酪農家を守護し又発展を外護されんことを祈願するものである、(詳細は碑の裏面にあり) 昭和五十四年四月山主敬白 安らかに眠れと祈り額ずきぬ われ育みし牛のみたまに 押花 境内碑 由来 昭和二十二年九月十五日 利根川堤防決壊による国の水害防止対策の為 江戸川へ放水量を増すべく 拡幅工事が行われ 移転戸数約百戸 農地約百へクタールの用地買収に迫られ 以後の農業経営に不測の転換を余儀なくされた その為 当時の豊岡村々長故柴田幸衛門氏 同議会議長吉州正信氏等の先導に依り この堤防の草資源の活用による酪農事業に着手すべく 昭和二十三年秋 北海道より乳牛を導入し 初めてこの地域に酪農が誕生した 以来三十年 町村合併 集乳所の統廃合等 幾多の変遷を経 杉戸町酪農組合が設立され 現在組合員二十戸 飼養頭数六百余 年間搾乳量二百万キログラムに達するに至った これ 実に今日あるは各酪農家の弛まざる研究努力はもとより この陰に疾病 事故 廃用等による幾多の乳牛を犠牲にしたことを忘れてはならない この尊い乳牛の霊に感謝し 冥福を祈り 更に将来の加護を祈願するため 関係者多数の浄財を仰ぎ 酪農発祥の地 当山内に 牛頭観世音 を建立した ここに併せて 導入三十周年を記念し 先覚者の偉業を讃え 永く後世に伝えんとするものである 昭和五十四年四月吉日 杉戸町酪農組合員一同 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2024/11/17 07:50:19 |