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基本情報
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住所 | 埼玉県富士見市水子1762番地3 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | 東武東上本線みずほ台 徒歩18分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 049-251-7520 |
FAX番号 | 049-254-1899 |
公式サイトURL | https://www.mizumiya-jinja.com/ |
御祭神 | 天照大神(あまてらすおおかみ)
素戔鳴命(すさのおのみこと) 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと) 誉田別命(ほんだわけのみこと) 大國主命(おおくにぬしのみこと) 罔象女神(みずはのめのかみ) |
創建・建立 | 室町時代 |
旧社格 | |
由来 | 水宮神社は、国指定史跡「水子貝塚」に隣接して鎮座。 現存する般若院文書(市有形文化財指定)によると、室町時代に京都聖護院を本山とする修験寺摩訶山般若院として創建され、加持祈祷をはじめ地域住民の人生の相談相手となって、人々の生活と深く関わり、教育の面でも寺子屋を営み、地元の教育指導に大きな役割を果たしてきました。 神仏分離令以後も、別に水子観音、不動明王が祀られ、水子供養祭が行われている。 今度多くの崇敬者の御奉賛により権現造の社殿が完成し、拝殿前には全国でも珍しい狛蛙一対が参拝者を迎えてくれる。
境内碑 水宮神殿改築記念 水宮家は代々法印にして魔訶山般若院と号し萩元の本家なり明 治元年三月の神佛分離令に依り神官となり水子村に居住し宮仕 へを為すによりて姓を水宮と改称す 水子氷川神社氷川社八幡 神社針ケ谷氷川神社舘氷川神社敷島神社の六社に奉仕せり 水宮 神殿に奉仕神社の御祭神を始め天神地祇を奉齋し初代法徳二代 繊衛三代三男四代三衛と日夜氏子の安泰と世界の平和を祈願し 今日に至る 明治百年並に神殿創立百年を記念し神殿改築の大 業を成就せんと発願し昭和四十二年初春より奉賛事業の計画を 立て江湖の賛同を得て翌年四月二十一日着工し諸事も順調に進 捗し御奉賛も日々に昂まり昭和四十四年五月五日の祝日を卜し 竣工祝賀祭を盛大に執行せり 斯くして神徳愈尊く瑞氣新殿に 集まる 願くは後世此の碑に對する者當に神徳感應報本反始の 誠を捧げられんことを 茲に改築の梗概を記して後昆に伝う 昭和四十四年五月五日 宮司 水宮三衛撰文 前埼玉大学教授 服部北蓮新書 |
神社・お寺情報 | 神職が常駐 出張祭典可 駐車場 お祓い・ご祈祷 自動車のお祓い 神前結婚式 神道式の葬儀 お水取り お砂取り 花・植物が見どころ ホームページあり
境内掲示板 『伝説の地に狛蛙』 昔、この土地に住む蛙が、『人間の様に立って歩きたい』と神様に願を掛けたところ、その願いが叶い歩ける様になったが、目が後ろになり不便なので元の姿に戻れるように再び願いを掛けたが許されず、困っていたところを大日如来(不動明王)が戻してくれたと云う。幼い子を亡くした親が神様に願を掛けたところ、亡くなった子にそっくりな子が生まれ、お礼に『生まれかえる』と蛙を奉納したと言われている。 猶、当社では狛蛙の阿吽の呼吸から、向かって右が『阿』、左が『吽』となり、殿様蛙それ故、頬の膨らみが有る。 蛙は、小さいが気勢・元気があり、前にしか跳ねない事から『前向き』であるとの信仰がある。 訪れる人々に...【身も心も若返る、体調が元の身に立ちかえる、家に無事かえる、(お金・福・失せ物・縁)が返る、栄える、見違える、跳ねかえる(根性)、運を持ちかえる、人を迎える、活きかえる、甦る(衰えた物がまた盛んになる・更生)、水子の霊も此の世に生まれかえる等】 『かえる』に肖り、此の社会が明るく楽しく繁栄していく事を願う。 蛙は神の御使いとして、また人様を導くとされている。この里に古くより伝わる蛙の伝説を今に伝えむと蛙に縁のある水宮神社に狛蛙を建立した。 摩訶山般若山 水宮神社 境内掲示板 ようこそ水宮神社へ 吾輩は水宮神社に使へる蛙である。当社はその昔、里修験として活動し、室町時代になって摩訶山般若院を創建。当時は神様と仏様が仲良く同居して力を合はせ、真心こめて加持祈祷がなされてゐた。病気で患ふものあれば医者に代はって祈り、争ひ事や相談ごとあれば弁護士の顔になって解決し、家庭で悩み事などあれば教育者となって相談相手になってきた。傍ら寺子屋を営み吾輩を始め多くの仲間を教へ導き育ててくれた。吾輩はあるとき、人間のやうに立って歩いてみたいと思ひ、神様にお願ひしたところ、その願ひが叶ったのだが、立ってみたら吾輩の目玉は後ろになってしまひ、前に進むのが不自由になってしまった。元の姿に戻れるやう、再び神様にお願ひしたが許されず、泣きべそをかいて困ってるたところ、大日如来様が憐れんで元に戻してくれた。それ以来、何かにつけて神様のお手伝いするやうになった。明治元年神仏分離令により、神様と仏様とが仲良く同居してゐたにも拘はらず、別れることになり、御本尊様は志木市の中道不動堂に移された。のちに不動堂の御威光は近在近郷に轟き渡り隆盛を窮めたのである。これを機に般若院は神社に改まり、神々の中で最も高貴で日の恵みを与へ下さる天照大神、安産、子育ての神として名高き木花開耶姫命、八岐大蛇の英雄で厄除け、病気快復、諸難除の素戔嗚命、家内安全、交通安全、必勝、健康開運の神として八幡様に祀られてある誉田別命、縁結び、幸福、医薬、開発の神でのちに天照大神に国をお譲りした後、死後の世界である幽世の大神と仰がれてゐる大国主神、そして生きていくのに最も大切な水を司る罔象女神、天部十二尊がお祀りされてゐる。ちなみに吾輩も田植へが始まると、田んぼの守り神様として崇められてゐるのだ。甘十楽氏の著書、富士見市昔話「歌蛙」に”梅雨呼ぶや水処蛙の鳴き合はせ”武州水子の蛙は歌が上手で歌蛙と言はれ「ケローケロクワックワッ」 と美声で歌ひ響かせるのだが、昨今は環境の変化で田んぼも居心地が悪く、なかには歌蛙の合唱がうるせえから退治しろと悪たれをたたく者もゐて弱り果ててゐたところ、心深き人が神前に狛蛙を設けてくれたのだ。近頃は吾輩にあやかって美しい声が出ますやうに、歌が上手になりますやうにと手を合はせに寄る人もゐるのだ。平成二十九年当社にとって予想もせぬ事が起きた。それは志木市のお取り計らひによって、実に百五十年ぶりに御本尊様が身支度も新たに整へて当社に里帰りしたのである。お蔭で神様と仏様が再開でき、再び同居することとなった。吾輩も神様の使者として世の為、人の為に一層力を尽くしたいと思ってゐる。先づは訪れる人が無事蛙(帰る)ことを願って。 令和三年三月吉日 御大典記念奉納 齋藤良雄 齋藤好子 |
例祭日 | 4月29日 例大祭 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】コニー 【 最終 更新日時】2024/03/24 17:15:49 |