京都府京都市東山区祇園町北側625番地 八坂神社(祇園社)の写真1
京都府京都市東山区祇園町北側625番地 八坂神社(祇園社)の写真2
京都府京都市東山区祇園町北側625番地 八坂神社(祇園社)の写真3
京都府京都市東山区祇園町北側625番地 八坂神社(祇園社)の写真4
京都府京都市東山区祇園町北側625番地 八坂神社(祇園社)の写真5
京都府京都市東山区祇園町北側625番地 八坂神社(祇園社)の写真6
京都府京都市東山区祇園町北側625番地 八坂神社(祇園社)の写真7
京都府京都市東山区祇園町北側625番地 八坂神社(祇園社)の写真8
京都府京都市東山区祇園町北側625番地 八坂神社(祇園社)の写真9
京都府京都市東山区祇園町北側625番地 八坂神社(祇園社)の写真10
京都府京都市東山区祇園町北側625番地 八坂神社(祇園社)の写真11
京都府京都市東山区祇園町北側625番地 八坂神社(祇園社)の写真12
京都府京都市東山区祇園町北側625番地 八坂神社(祇園社)の写真13
京都府京都市東山区祇園町北側625番地 八坂神社(祇園社)の写真14
京都府京都市東山区祇園町北側625番地 八坂神社(祇園社)の写真15
京都府京都市東山区祇園町北側625番地 八坂神社(祇園社)の写真16
京都府京都市東山区祇園町北側625番地 八坂神社(祇園社)の写真17
京都府京都市東山区祇園町北側625番地 八坂神社(祇園社)の写真18
京都府京都市東山区祇園町北側625番地 八坂神社(祇園社)の写真19
京都府京都市東山区祇園町北側625番地 八坂神社(祇園社)の写真20
京都府京都市東山区祇園町北側625番地 八坂神社(祇園社)の写真21
 4.3

八坂神社(祇園社)  (やさかじんじゃ)


京都府京都市東山区祇園町北側625番地

みんなの御朱印

(クマさん)
3 御朱印日:2025年3月21日 14:33
(ゆうまなとさん)
9 御朱印日:2025年3月12日 00:00
(かりんさん)
6 御朱印日:2025年2月28日 00:00
(まみさん)
17 御朱印日:2025年2月23日 00:00
(kayokoさん)
11 御朱印日:2025年1月30日 14:45
(さくらさん)
30 御朱印日:2025年1月11日 12:54
(ジョージ・ゴッシュさん)
5 御朱印日:2025年1月11日 00:00
(ルルさん)
9 御朱印日:2025年1月5日 00:00
(ルルさん)
25 御朱印日:2025年1月5日 00:00
正月限定 恵方御朱印 令和7年恵方 庚(カノエ)西南西
(おまいりりんごさん)
41 御朱印日:2025年1月4日 11:20

自分の御朱印

まだ御朱印が登録されていません

みんなの動画

自分の動画

まだ動画が登録されていません

みんなの参拝記録

(のぶちゃんさん)
おすすめ度:
5 406 参拝日:2017年12月23日 00:00
早朝の神社の空気は良いですね。皆さん総出でお掃除をされてました。私たちが気持ち良く参拝できるのも神職の方々のお陰ですね。感謝
(のぶちゃんさん)
おすすめ度: ★★★★
4 386 参拝日:2019年6月1日 07:45
早朝から参拝。まだ誰も御朱印待ちしてる人がいなかったので写真撮影をしていたら。10人ほど並びだしたので、慌てて並びました。結局開くまでに50人ほど並んでいました。流石八坂神社です。
(のぶちゃんさん)
おすすめ度: ★★★★
3 382 参拝日:2019年2月10日 00:00
結婚式に二組も遭遇しました。歓迎されているようです。
(とむやんくんさん)
おすすめ度: ★★★★★
3 108 参拝日:2017年9月17日 00:00
秋の京都は、紅葉狩りのために道路が混み合う。ようやくの思いで訪ねた祇園社で、特別に昇殿しての参拝の機会に恵まれた。 本殿の神様に最も近い場所で参拝をさせていただき、素戔嗚尊の気に触れている。今思えば岡山のフツノミタマ神社といいスサノオには縁があるのかもしれない。 評価基準 ☆☆☆☆図太い気がズシンとくる。 京都の有名な神社であるが、もともとは牛頭天王(こずてんのう)を祀っていた寺社というのが私の知識。昇殿参拝すると普通は神社では見かけない巨大な木彫りの像を間近に見られる。なるほど、お寺です。明治政府の神仏分離令に揺れた寺社の歴史を思う。
(Mu.(全国一ノ宮神社巡拝中)さん)
おすすめ度: ★★★★
3 304 参拝日:2002年11月18日 00:00
ついつい立ち寄ってしまいます。綺麗な紅葉がまだ沢山残ってました。
(のぶちゃんさん)
おすすめ度: ★★★★
2 222 参拝日:2021年12月12日 08:35
何時もは早朝に参拝するのですが、用事で近くに来たので、立ち寄ってみました。桜の季節でもありますが、コロナで減少した観光客も、だいぶ増えたように思います。今回もコロナ鎮静化を祈念。
(のぶちゃんさん)
おすすめ度:
2 253 参拝日:2021年3月26日 15:30
台風の影響でしょうか。参拝者も少ないように感じます。お陰で人が写ってない奇跡の写真が何枚も撮れました。
(のぶちゃんさん)
おすすめ度:
2 317 参拝日:2019年10月13日 08:30
駐車場は円山公園地下駐車場が近いです。
(銀玉鉄砲さん)
おすすめ度: ★★★★
2 303 参拝日:2018年12月8日 00:00
【授与所】 たくさんの御守りやお札やおみくじあり オリジナル御朱印帳あり
(優雅さん)
おすすめ度: ★★★★
2 253 参拝日:2018年8月13日 15:37

自分の参拝記録

まだ参拝記録が登録されていません

基本情報


※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 京都府京都市東山区祇園町北側625番地
五畿八道
令制国
畿内 山城
アクセス 京阪本線祇園四条 徒歩7分
御朱印授与時間
電話番号 075-561-6155
FAX番号 075-531-1126
公式サイトURL http://www.yasaka-jinja.or.jp
御祭神 [中御座] 素戔嗚尊(すさのをのみこと) [東御座] 櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと) [御同座] 神大市比売命(かむおおいちひめのみこと) 佐美良比売命(さみらひめのみこと) [西御座] 八柱御子神(やはしらのみこがみ) 八島篠見神(やしまじぬみのかみ) 五十猛神(いたけるのかみ) 大屋比売神(おおやひめのかみ) 抓津比売神(つまつひめのかみ) 大年神(おおとしのかみ) 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) 大屋毘古神(おおやびこのかみ) 須勢理毘売命(すせりびめのみこと) [傍御座] 稲田宮主須賀之八耳神(いなだのみやぬしすがのやつみみのかみ)
創建・建立 斉明2年(西暦656年 飛鳥時代)
旧社格
由来 [創祀]
 当社は慶応4年(1868年)5月30日付の神衹官達により八坂神社と改称するまで、感神院または祇園社と称していた。
創祀については諸説あるが、斉明天皇2年(656年)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まるという。
 また、一説には貞観18年(876年)南都の僧円如が建立、堂に薬師千手等の像を奉安、その年6月14日に天神(祇園神)が東山の麓、祇園林に垂跡したことに始まるともいう。
 伊利之来朝のこと、また素戔嗚尊が御子の五十猛神とともに新羅国の曽尸茂梨(そしもり)に降られたことは、ともに『日本書紀』に記されており、『新撰姓氏録』の「山城国諸蕃」の項には渡来人「八坂造(やさかのみやつこ)」について、その祖を「狛国人、之留川麻之意利佐(しるつまのおりさ)」と記してある。
この「意利佐」と先に記した「伊利之」は同一人物と考えられている。
伊利之の子孫は代々八坂造となるとともに、日置造(へきのみやつこ)・鳥井宿祢(とりいのすくね)・栄井宿祢(さかいのすくね)・吉井宿祢(よしいのすくね)・和造(やまとのみやつこ)・日置倉人(へきのくらびと)などとして近畿地方に繁栄した。
 天長6年(829年)紀百継(きのももつぐ)は、山城国愛宕郡八坂郷丘一処を賜り、神の祭祀の地とした。
これが感神院の始まりともされている。
そして、八坂造の娘を妻とし、男子のなかった八坂造家の職を継承したといわれ、その後裔である行円(ぎょうえん)は、永保元年(1074年)に感神院執行となり、以後子孫代々その職を継ぎ、明治維新による世襲制の廃止まで続いた。

[朝野の崇敬]
 元慶元年(877年)疫病が流行したので占ったところ、東南の神の祟りとされた。
そのため各社に祈り奉幣が行われたが、一向に治まらなかった。
さらに占ったところ、東山の小祠の祟りとわかり勅使を発遣、祈ったところ疫病の流行が止んだ。
これが祇園社の発展の契機となり、僅か2年後の元慶3年(879年)には陽成天皇より堀川の地十二町が神領地として寄進されたほか、同地の材木商人360人は神人に補せられ、経済的基盤が早くも確立した。
また、藤原氏の崇敬もあつく基経(昭宣公)は、その邸宅を寄進、感神院の精舎としたと伝わり、道長もたびたび参詣した。
藤原氏全盛時代の中心人物の崇敬は、当社の地位が次第に高まることにむすびついた。
 円融天皇は、天延3年(975年)6月15日に走馬・勅楽・御幣を奉られ、これ以後、祇園臨時祭が6月15日に継続執行されるようになったと考えられている。
 そして、長徳元年(995年)には、王城鎮護の社として尊崇された二十一社のうちの一社となり(のち二十二社)、延久4年(1072年)3月24日には後三条天皇が行幸された。
当社への天皇行幸の最初であり、以後、天皇・上皇の行幸はたびたびあった。
 いっぽう武家の崇敬もあつく、平清盛の田楽奉納・源頼朝の狛犬奉納、また足利将軍家も社領の寄進・修造を行うとともに社務執行は将軍家代々の祈祷もつとめた。
豊臣秀吉は母大政所の病気平癒を祈願し、焼失していた大塔を再建するとともに、一万石を寄進し戦国期に荒廃した当社の再興が進んだ。
江戸時代には徳川家も当社をあつく信仰し、家康は社領を寄進、家綱は現存する社殿を造営、数多くの神宝類も寄進した。
 明治4年(1872年)に官幣中社に列格、大正4年(1915年)には官幣大社に昇格した。
神社・お寺情報 八坂神社の総本社。

●札所等
神仏霊場巡拝の道第116番(京都第36番)
例祭日
神紋・寺紋 五瓜に唐花
更新情報 【 最終 更新者】コアラの父
【 最終 更新日時】2024/10/01 20:11:28
 
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々はこちらよりお気軽にご相談ください。

近くの神社・お寺

近くのお城

このエントリーをはてなブックマークに追加 フォローする

通報

※「情報が異なる」「迷惑情報」を発見された方は、通報するを押してください。

神社・お寺検索

※は必須です
 
 
*
*

 
 
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録はこちら

サイト内全検索

最近検索された神社・お寺

寳珠山金龍禪寺  津島神社  東の道祖神  山神社  出仲間神社  稲荷大明神  円明院  三徳大霊魂(天圀蔵五柱五成大神境内社)  天五色辯財霊魂(天天圀蔵五柱五成大神境内社)  黒龍大明神(田無神社)  神心の碑(田無神社)  撫龍(田無神社)  青龍(田無神社)  銀杏御神木(田無神社)  子育て犬(田無神社)  子育て親子石(田無神社)  市之坪稲荷神社  飯玉神社(六供八幡宮境内)  弁財天(六供八幡宮境内)  猿田彦神社  美保大國神社(前橋八幡宮境内)  雷電神社(堅町神明宮境内)  菅原神社(堅町神明宮境内)  三峰神社(堅町神明宮境内)  天満宮(上野総社神社境内)  八劔大明神  稲荷社  三精寺跡  神宮寺跡  乙姫子安河原観音  秋葉神社(天神社 境内社)  機神社(天神社 境内社)  軍刀利神社(天神社 境内社)  友安稲荷大明神  安徳天皇社  稲荷神社  山谷天神  舟木石上神社  緋乃本稲荷神社  松帆恵比寿神社  オーロラモール屋上東伏見稲荷神社  良玄寺  西千葉稲荷大明神  大阿蘇大明神  小原若宮神社  福生寺  稲荷神社  稲荷神社  庚申塔・御嶽山大口眞神(青梅橋)  稲荷神社(小川日枝神社境内社)  稲荷神社(小平上宿)  御井神・水波能売神(小平神明宮境内社)  民安稲荷大明神(小川寺境内社)  稲荷神社(平家の郷 小平館)  萬徳院釈迦寺 小室寺院  釜尾菅原神社  三寶大荒神  中郡八幡宮  下無田神社  祖霊社(建部神社 境内社)  井上神社(身曾岐神社)  蚕玉神社(巨摩神社 境内社)  縁結び 子宝 安産の神様(甲斐駒ヶ岳神社 境内社)  祖霊宮(甲斐駒ヶ岳神社 境内社)  山角薬師堂  切山神社  黒谷神社  四歩市神社  塞之神  天王社  富士守稲荷社(北口本宮富士浅間神社 境内社)  金比羅社(松尾神社 境内社)  金鳥居  恵比寿大神社  恵比寿神社(向原小明見冨士浅間神社 境内社)  富士子宝神社(向原小明見冨士浅間神社 境内社)  山角薬師堂  楠地蔵堂  室田山神神社  武内神社  福田天満宮  上古閑菅原神社  加藤神社  皿池地蔵堂  稲荷神社(畔吉諏訪神社境内)  大宝山千光寺  大宝山千光寺  北野天満神社(豊玉氷川神社 境内)  稲荷神社(豊玉氷川神社 境内)  合祀神社(別府神社 境内社)  二尊院  御嶽神社(若宮神社 境内社)  香具波志神社三津屋御旅所  亀老山大聖寺  合祀神社 五社(日野宮神社 境内社)  稲荷社(神明社 境内社)(東光寺神明社)  堀上愛宕神社  細宇納間天神社  宇納間稲荷神社  稲荷大明神(誉田八幡神社 境内社) 

何を投稿しますか?

神社・お寺検索

初めてご利用の方は、使い方をお読みください。
*は必須です
 
 
*
*

 
 
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録はこちら
※「記録を色分け」を選ぶと、参拝や御朱印の記録が地図上で色分け表示されます。(検索に時間がかかります。ログインが必要です。)