2.5
梅樹山地蔵院眞東寺
(しんとうじ)
埼玉県児玉郡美里町大字木部546
みんなの御朱印
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(ぴよぴよさん)
1
御朱印日:2025年2月1日 00:00
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(ぴよぴよさん)
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御朱印日:2025年2月1日 00:00
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(七志乃権兵衛さん)
23
御朱印日:2023年9月23日 16:45
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(はるはる♪さん)
41
御朱印日:2021年9月22日 17:32
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(まっきーさん)
85
御朱印日:2021年7月24日 11:00
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みんなの参拝記録
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(zx14rさん)
おすすめ度:
★
0
42
参拝日:2024年3月23日 16:06
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(七志乃権兵衛さん)
おすすめ度:
0
22
参拝日:2023年9月23日 16:45
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(はるはる♪さん)
おすすめ度:
0
25
参拝日:2021年9月22日 17:32
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(まっきーさん)
おすすめ度:
★★★★
0
61
参拝日:2021年7月24日 11:00
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県児玉郡美里町大字木部546 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR八高線松久 徒歩7分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0495761770 |
FAX番号 |
0495761770 |
公式サイトURL |
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御本尊 |
延命地蔵菩薩 |
宗派 |
真言宗智山派 |
創建・建立 |
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由来 |
境内掲示板
真東寺
所在地 児玉郡美里村大字木部
真東寺は、その昔、真言宗醍醐派の寺であったが、応仁の乱が原因となって、文明三年(一四七一)に真言宗智山派に変更したといわれている。当時は梅樹山弥陀院真東寺といって、本尊は阿弥陀如来であったが、天明三年(一七八三)浅間山の大噴火と大飢饉のため世情騒然となっていた時、火災により本尊及び諸仏像を焼失したため、天明六年本堂再建の際、児玉三十三霊場第十九番の西光山宥勝寺から本尊延命地蔵菩薩を受けて、これより梅樹山地蔵院真東寺と称するようになった。その後、文化二年(一八〇六)再び火災に遭い堂宇を焼失したので、文政十三年(一八三〇)再建して現在に至っている。
なお、別棟の観音堂は、住職の手づくりによるもので、昭和五十五年秋に完成した。堂内の観音様の御胎内には般若心経一,〇〇〇巻の写経が奉納されており、また、室内の壁には、み仏と参拝者との御縁が結ばれるよう八千枚の五円玉を貼りめぐらしてある。
昭和五十八年三月
埼玉県
境内碑
眞東寺本堂新築記念碑
梅樹山地蔵院眞東寺 新本堂建立事業 縁起
当山は真言宗の寺院として室町後期に開山したとされるが、詳細は不明である。近世には、真言宗新義派智山方に属し、本庄栗崎の宥勝寺を本寺とし、洛東智積院の教学を護持していたが、明治時代中期以降、智積院の直末寺となり、真言宗智山派に属する。浅間山が噴火した天明三(一七八三)年ころ本堂が火災に遇い、本尊焼失のため、現在の本尊・延命地蔵菩薩は、天明六年の本堂再建に際し、宥勝寺から譲り受けたものと伝えられる。文化三(一 八〇六)年、再び火災で堂宇を焼失するも、文政十三(一八三〇)年に旧本堂が建立されたと伝わる。これより百八十有余年という歳月を経て、幾多の修 繕・改修を重ねるも、老朽化は著しく、損壊の危機に瀕するに至る。
当山十四世権大僧正秀運和尚は深くこれを憂い、平成十七(二〇〇五)年現住職晋山式のおり、長老として檀徒総代・世話人に新本堂建立の大願を披瀝し、伽藍復興の端を開いた。平成二十三年三月の東日本大震災により、旧本堂はさらに甚大な被害を受ける。しかるに和尚俄に四大に不調をまねき同年十一月九日早暁に遷化される。
しかれども、本尊聖者は和尚の大願を見離されず、時まさに、宗祖弘法大師ご誕生千二百五十年奉修の勝縁にあたり、その記念事業として新本堂の建設が発願される。平成二十八年十二月、建設委員会が組織され、翌年九月檀徒総会において、新本堂の建立事業は全会一致の賛同を得、直ちに浄財の寄進を仰ぎ、遂に一大聖業が開始される。
令和二(二〇二〇)年九月二十八日、此処に当山本堂は、棟梁を始め建設関係者各位の卓越した技能と尽力により、旧来の面目を一新する。加えて、小衲の縁により、堂内宮殿・須弥壇を東京豊島区西巣鴨の大正大学礼拝堂から移築・修復し、高天井御内陣の絢爛な荘厳となる。
現時、眞東寺という寺号は全国で当山のみである。その由来は不詳であるが、開山当時、本尊は阿弥陀如来、本堂は真東を向いていたとの伝承から、新本堂は正面を東向きに変更し、日の出を仰ぐものとした。
令和三年五月五日、時にコロナ禍の影響を受けながらも、宗内埼玉第九教区児玉支所の諸大徳にご出仕賜り、落慶法要が厳粛に執行された。
この歴史的大事業は、偏に本尊のご加護、先師のご遺徳、建設委員を始めとする檀信徒、篤志者の信援の賜物である。この法縁に深甚なる感謝の念を捧げ、ひたすら本尊聖者の威光を倍増し、両祖大師並びに当山祖師先德に報いるものである。願わくは由緒ある当山を地域の篤き信仰の拠り所として末永く子々孫々に護持されんことを。
重ねて乞う、伽藍安穏、興隆仏法、地域安寧、万民豊楽、檀信健勝。乃至法界、平等利益
維時 令和六年十二月吉日
当山十五世 権少僧正 秀裕 記之 |
神社・お寺情報 |
児玉三十三霊場 第二十六番
新編武藏風土記稿
那賀郡木部村
眞東寺 新義眞言宗栗崎村宥勝寺末 梅樹山地藏院ト號ス 本尊地藏 八幡社 諏訪社 天神社 彌陀堂
境内掲示板
曼陀羅塔・お砂踏み
この塔は曼陀羅塔と称し、密教諸尊の悟りの世界を表現したものです。
特に四方(東西南北)の門は四門と呼ばれ、東に発心門、南に修行門、西に菩提門、北に涅槃門を配し、密教の世界で修行の段階を説いたものです。
屋根の上の修行像は、お大師さまが諸国巡錫の折、当山にも立ち寄られ、御本尊さまを拝んで下さっているお姿を表わしたものです。
また、塔内の天井は仏天蓋で荘厳され、その周囲を五円玉で張り巡らせ、巡拝者と御本尊さまとのご縁を結ぶ縁起としています。
足元の石板(仏足石)の下には、四国八十八ヶ所霊場から直接持ち帰ったお砂が各霊場ごとに納められており、この仏足石を踏むこと(お砂踏み)によって、四国霊場を巡拝したのと同じ霊験・功徳が得られます。 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2025/02/01 21:53:57
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