みんなの御朱印
(トップガンさん)
9 御朱印日:2024年8月3日 00:00 |
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(こころ旅さん)
10 御朱印日:2024年1月4日 16:05 |
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(こころ旅さん)
9 御朱印日:2024年1月4日 16:00 |
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(スエさん)
20 御朱印日:2023年9月18日 14:45 |
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(ヒロ&ダディさん)
11 御朱印日:2023年8月11日 00:00 |
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(地獄耳さん)
24 御朱印日:2023年5月25日 00:00 |
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(nak55さん)
0 御朱印日:2023年1月5日 00:00 |
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(nak55さん)
0 御朱印日:2023年1月5日 00:00 |
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(SUPRAさん)
17 御朱印日:2022年10月10日 13:15 |
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(SUPRAさん)
17 御朱印日:2022年10月10日 13:15 |
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住所 | 埼玉県川越市元町2-9-11 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | 東武東上本線川越市 徒歩15分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 049-222-3321 |
FAX番号 | 049-222-3321 |
公式サイトURL | https://www.kenryuji.jp/ |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
宗派 | 浄土宗 |
創建・建立 | 天正2年(1574年) |
由来 | 永禄1年(1558)後北条氏の川越城将政繁は、城下に一寺を建立して建立寺と名づけ、一族中の存貞和尚を小田原伝肇寺より招請し て開山とし、のち見立寺と改めた。存貞和尚は、永禄6年増上寺10世となったが、永禄9年見立寺に再住した。そして先に政繁の母が平方村に造営した蓮馨寺を、川越に移して両寺を兼帯した。
天正18年(1590)豊臣秀吉の禁制書には、「武州川越蓮馨寺同門前 見立寺」と記されている。蓮馨寺門前より当地に移転した年代、経緯など不詳であるが、おそらく、延宝年中(1670年代頃)であると考えられる。 見立寺は文政11年(1828)3月25日、石原火事により類焼、さらに天保11年(1840)4月8日に焼失している。再度の火災により、古文書等も現存していない。現本堂は、明治14年(1881)に建立されたものである。 その他、当寺には、板碑(青石塔婆)二基、徳本上人名号碑、松平(松井)周防守家の阿弥陀如来坐像並藩主位牌などが現存している。 新編武藏風土記稿 入間郡河越城下町高澤町 見立寺 壽昌山了心院ト號ス 淨土宗當所蓮馨寺ノ末寺ナリ 開山感譽後ニ遊行シテ終ル所ヲシラス 故ニ其首途セシ天正二年五月十八日ヲ以テ暫ラク命日トス 感譽俗姓ハ北條氏ニテ氏康ノ子ナリ 城主大道寺駿河守政繁カ母法諡實泡院柔譽光澤蓮馨トテ永祿十年八月十二日卒ス コノ人蓮馨寺起立ノ時假堂ヲカノ境內ニ建置シカ 蓮馨財ヲステヽ永續セシメ其菩提ヲ祈リシトソ 其頃ハ寺號モ建立寺トカキテ カノ寺ノ塔頭ナレトモ 火災ヲサケテ後ニコノ所ヘウツリシナリ 今モ蓮馨寺ノ境內ニ六段畑ト云所アリ 是當寺ノ舊跡ナリト云 本尊三尊ノ彌陀ヲ安ス 又內佛ニ彌陀ノ像アリ 長一尺四寸聖德太子ノ作ト云 秋葉社 |
神社・お寺情報 | 札所:小江戸川越七福神「布袋尊」
境内掲示板 徳本上人名号碑 (念仏教化の記念碑) この名号碑は、徳本上人が川越へ布教に来たときに建てられた記念碑である。独特の丸い文字は「徳本文字」として名高い。名前の「徳本」の下にある落款は「鬼くだく心を丸く田の中に南無阿弥陀仏と月のおもかげ」という意味が含まれているという。 徳本(宝暦八年一七五八~文政一年一八一八) 江戸時代末期の浄土宗僧侶。和歌山県に生まれ、幼少より信心が篤く、両親に出家を請うも許されず、二十六歳(一七八四)にようやく母の許しが下りて出家する。ひたすらに念仏を唱え、礼拝をし、膝が薬研のごとく割れたとまでいわれている。念仏弘通の為に全国を廻り、説法をし、名号札を配って歩いた。それを求める人は、「まるで朝市が開かれている様だ」と、形容されるほど多くの人が列をなしたという。 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 三つ鱗 |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2025/01/19 07:30:52 |