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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 千葉県成田市宗吾1-558 |
五畿八道 令制国 |
東海道 下総 |
アクセス | 京成本線宗吾参道 徒歩12分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0476-27-3131 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://sougo.frenchkiss.jp/ |
御本尊 | 佐倉宗吾(木内惣五郎)
大日如来 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
創建・建立 | 不詳 |
由来 | 平安時代、坂上田村麻呂が東国を平定の折り、戦死者の供養のためお堂を建てたのが始まり。“東国に勝利した”と言う所から「東勝寺」となった。
歌舞伎でも知られる「義民・佐倉宗吾」は、今から約360年前の承応元年(1652年)、佐倉藩主の暴政により、凶作と重税に苦しむ農民を救うため、公津村(現在の成田市)の名主の木内惣五郎は、当時は御法度とされた四代将軍徳川家綱への直訴を決行!大勢の農民を救った。その後、木内惣五郎は磔、4人の子供たちは処刑(斬首)された。 その刑場跡が、現在の東勝寺のある場所といわれている。 境内掲示板 別格本山 宗吾霊堂 宗吾霊堂は真言宗豊山派東勝寺の管理する佛堂であります。 今より三百六十余年前承応年間下総佐倉藩の悪政により生活に苦しむ人々を救う為、公津村名主(木内惣五郎)は徳川四代将軍家綱公に直訴し十万の人々の命を救われました。 しかしその罪により承応二年(一六五三年)に本人と四人のお子様は刑に処され、その遺骸を当山住職等が現在のお墓の地(当時の刑場跡)に埋葬されました。 その後、百年祭の時(一七五二年)に佐倉藩主堀田正亮公により「宗吾」の法号を贈られ立派な佛位を得られてより宗吾様を祀るお堂を宗吾霊堂と称するのであります。 即ちお墓では偉大な宗吾精神(大慈大悲の広い心)を敬慕し、お堂では信徒の方々が所願成就を御祈祷し、現世のご利益を授かるのであります。 毎月三日は宗吾様の命日。 九月三日は祥月命日 元朝大護摩奉修 一月中 節分会 二月三日 春彼岸会 三月 花まつり(釈迦降誕会)四月八日 紫陽花祭り 六月毎週日曜日 先師忌法要 六月十九日 七日堂(薬師如来護摩)八月七日 盂蘭盆会 八月十三日~十五日 大施餓鬼会法要 八月十六日 お待夜祭 九月第一土曜日曜日 秋彼岸会 九月 観月会 十月 お茶会(宗心会) 十一月三日 陀羅尼会 十二月三日 星まつり 十二月冬至の日 お焚上げ 十二月二十五日 除夜の鐘 十二月三十一日 鳴鐘山東勝寺 |
神社・お寺情報 | 札所:関東百八地蔵・第70番
・山号は鳴鐘山で、正式名称を 鳴鐘山東勝寺 と言う。 ・境内奥には、佐倉宗吾の生涯を再現した「宗吾御一代記館」があり、佐倉騒動の発端から甚兵衛渡し、妻子の別れ、直訴から処刑に至るまでの彼の一生を、等身大人形66体、計13場面で再現している。 境内掲示板 宗吾霊三百二十五年祭記念事業 大山門 一、規模 下層間口 九・七二〇メートル 奥行き 五・四〇〇メートル 高さ 十四・六五三メートル 一、面積 下層 五二・四八平方メートル 上層 四二・二〇平方メートル 一、意匠 高層屋根入母屋造り本瓦棒形銅板葺き 一、安置仏 金剛仏阿吽両尊像 身丈二・六六メートル 制作者 人間国宝 香取正彦氏 一、楼上安置仏 聖観世音菩薩像 制作者 高村光雲氏 一、施主 宗吾霊三百二十五年祭奉賛会 一、施工 昭和五十三年十一月十一日 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】FÙKU 【 最終 更新日時】2024/12/04 19:54:49 |