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みんなの参拝記録
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(thonglor17さん)
おすすめ度:
★★★
0
 29
参拝日:2026年4月25日 06:10
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
| 住所 |
埼玉県狭山市北入曽1366 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス |
西武新宿線入曽 徒歩6分 |
| 御朱印授与時間 |
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| 電話番号 |
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| FAX番号 |
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| 公式サイトURL |
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| 御本尊 |
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| 宗派 |
真言宗智山派 |
| 創建・建立 |
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| 由来 |
境内掲示板
常泉寺の観音堂
所在地 狭山市大字北入曽
観音堂の創立は、建仁二年(一二〇二)と言い伝えられている。
その後文保二年(一三一八)の旱魃の際に、村人が観世音に祈り古井をさらったところ、たちまち水が吹き出したと伝えられる。
本尊は、木造聖観世音菩薩坐像で、江戸時代後期の河越住仏師大覚の作であり、堂宇は宝永五年(一七〇八)の再建である。
毎年一月十一日の観音様のお祭りには、かつては、五色の布や鈴、新しい鞍や腹掛けをつけた牛馬が、お堂のまわりを回り、賑やかな祭りだったと言われている。
不老川
この川は、入間市宮寺付近に源を発し、野水を集めながら堀兼を通り、川越市で新河岸川に注いでいる。
地質的には、古多摩川の名残り川であるといわれている。
現在では、一年中水が流れているが、昔は、毎年冬期になると必ず水が涸れ、「としとらず川」と言われ、「節分の夜、不老川の橋の下にいると年をとらない」との伝説がある。
昭和六十一年三月
埼玉県
狭山市 |
| 神社・お寺情報 |
新編武藏風土記稿
入間郡北入曾村附新田
觀音堂 坐身ノ正觀音ヲ安置ス 常泉寺持 コノ堂ノ後ニ土人七曲井ト云廣キ穴アリ ソノ形螺ノ如ニシテ次第ニ巡リ下リテ水際ニ至ル 相傳ヘテ上古ノ堀金井ノ跡ナリトイヘト 是ハ既ニ南入曾村ニモ辨セシ如ク堀金村ノ井ヲモテ實跡トナスヘキカ 七曲井ノ餘比丘尼井ナト云古井ノ跡村內ニ三所アリテ何レヲモ堀金井ノ舊跡ナリト唱ヘリ
境内掲示板
木造聖観世音菩薩坐像 市指定文化財彫刻
所在地 狭山市大字北入曽一三六六 常泉寺観音堂
指定年月日 昭和六十一年十一月一日
木造聖観世音菩薩坐像は、常泉寺所属の観音堂の本尊として祀られているものです。 その昔、大干ばつがあり、水に困った人々が観世音菩薩に祈って七曲井をさらったところ、たちまち清水が湧きだしたという故事があり、観世音菩薩は七曲井の守り菩薩となり、今も崇敬されています。なお、常泉寺も元はこの地にありましたが、元禄二年(一六八九)に観音堂を残し現在地に移転したと記録に残っています。
この像の正確な制作時期はわかりませんが、台座裏の墨書きに「川越佛師 大覚 現住隆寛代」と記されており、隆寛は常泉寺の住職で、安永五年(一七七六)ごろから没年の文政二年(一八一九)まで寺に勤めていたため、その期間に川越の彫仏師である大覚という人物によって作られたと考えられています。
像容は、頭上に宝冠を戴き左手で未開蓮華を持ち、右手をあげています。宝冠は鍍金の透かし彫り金具です。顔立ちは端正で、端座の足を被う裳裾のひだもよく捉え、全体に均整がとれています。
平成二十七年二月
狭山市教育委員会
狭山市文化財保護審議会
境内掲示板
七曲井 埼玉県指定史跡
所在地 狭山市北入曽1366
指定年月日 昭和24年2月22日
飲料水を得ることが困難な武蔵野台地では、竪掘り(たてぼり)井戸を掘る技術が発達する近世まで、漏斗状(ろうとじょう)に掘り下げて井戸を作りました。
このような井戸の一つが七曲井(ななまがりのい)で、平安時代中頃に掘られたと考えられます。残された古文書から江戸時代まで使われていたことがわかっています。昭和45年に発掘調査が行われ復元されましたが、平成15年の調査で井戸内にあった石壁に崩落の危険性があることが明らかになりました。そのため、平成17・18年度に崩落防止工事を実施しました。
こちらから見えるのは、工事により積上げられた盛土です。そのため、本来の姿とは異なっています。また、道は復元してありますが、下部の回り道は湧水を防ぐ目的で埋めたてたため、現在は見えなくなっています。反対側の見学スペースでは、本来の井戸の法面(のりめん)がご覧になれます。案内図の位置に移動してご覧ください。
埼玉県教育委員会
狭山市教育委員会
境内碑
埼玉県指定史跡
七曲井
井の大きさは、上縁直径二六メートル、井底までの深さ十一、三メートルあり、形は漏斗形をしている。湛水部は、中央底部にあって、人頭大の石で周囲を組んだ中に、松板で井桁を組んでいる。
井戸におりる道は、上部では階段状をなし、中央部では曲り道、そして底近くではまわり道となっている。
古来、水不足に悩まされた武蔵野台地にのこる漏斗状井戸、マイマイ井戸として重要な遺構である。由来については、平安時代の文献にいう「堀兼の井」とする説もあるが、詳らかではない。
宝暦九年(一七五九)の大改修の後は、竪堀井戸の普及によって使われなくなり、土砂に埋れていたが、昭和四十五年秋、発掘し復元工事を行なつた。
昭和四十七年十二月
埼玉県教育委員会
狭山市教育委員会 |
| 例祭日 |
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| 神紋・寺紋 |
未登録
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| 更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2026/04/26 12:31:51
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