みんなの御朱印
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56 御朱印日:2017年11月19日 00:00 |
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49 御朱印日:2017年2月6日 00:00 |
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(KAZさん)
24 御朱印日:2017年2月4日 00:00 |
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住所 | 神奈川県足柄下郡箱根町湯本405 |
五畿八道 令制国 |
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アクセス | 箱根登山鉄道線箱根湯本 徒歩4分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 046855133 |
FAX番号 | 046855136 |
公式サイトURL | http://www.souunji.jp/ |
御本尊 | 釈迦如来坐像、普賢菩薩像、文殊菩薩像の釈迦三尊(室町時代) |
宗派 | 臨済宗 大徳寺派 |
創建・建立 | 大永元年(1521年) |
由来 | [早雲寺の沿革] 早雲寺は戦国時代の武将北條氏綱が父早雲の遺命により大永元年(1521)に創建した臨済宗大徳寺派の古刹である。以来、小田原北條氏の菩提所として栄え、氏綱の塔所春松院、氏康の大聖寺、氏政室(信玄の娘)の黄梅院など多くの塔頭が次々に建てられた。 京都南禅寺の東嶺智旺がその偉容を「棆奥の美」と称え、天正十一年(1542)六月には後奈良天皇より勅願寺の綸旨を受けるなど関東屈指の禅刹へと発展している。 天正十八年(1590)四月豊臣秀吉の小田原攻めの際、最初に占領され本陣として利用された。七月北條氏が降伏すると火を放たれ北條文化の一翼を担った早雲寺の伽藍も灰燼に帰したのである。 早雲寺再建は寛永四年(1627)方丈建立に始まる。 [歴史と文化] 室町時代の連歌師飯尾宗祇は文亀二年(1502)箱根湯本で亡くなった。江戸時代になると、供養塔のある早雲寺は宗祇終焉の地として多くの俳人が訪れ、稲津祇空のように晩年墓守りをする人物も現れた。 戦国時代、東国で異彩を放った水墨画家雪村周継は、開山以天和尚を慕って早雲寺に滞在しその頂相を描いている(大徳寺所蔵)。 天正十八年(1590)北條氏の庇護を受けていた堺の茶人山上宗二は、師利休に再会する為早雲寺を訪れ、四月十一日師の面前で秀吉に惨殺された。 早雲寺の山門と方丈の扁額には江戸時代初期、朝鮮通信使写字官の書が掛けられ、この寺が日本の歴史と文化の大きな流れのなかで存続したことを実感させる。 (「早雲寺」パンフレットより引用) |
神社・お寺情報 | 開基:北條氏綱 開山:以天宗清 中興開山:菊径宗春 [寺院所蔵品] 北條早雲像(国指定重要文化財)、北條氏綱像(神奈川県指定重要文化財)、北條氏康像(神奈川県指定重要文化財) 本堂襖絵三十八面(神奈川県指定重要文化財) 織物張文台及硯箱(国指定重要文化財) 以天宗清頂相(箱根町指定重要文化財) [年中行事] 2月 開山忌 5月 小田原市主催 北条五代祭墓前祭 本堂襖絵と寺宝特別公開(小田原市共催) 11月 本堂襖絵と寺宝特別公開(早雲寺主催) |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 北條三鱗 |
更新情報 | 【
最終
更新者】まっきー 【 最終 更新日時】2022/11/03 20:49:45 |