みんなの御朱印
(ヒロ&ダディさん)
3 御朱印日:2024年12月1日 00:00 |
|
(ヒロ&ダディさん)
1 御朱印日:2024年12月1日 00:00 |
|
(としくんさん)
3 御朱印日:2024年11月25日 16:30 |
|
(なりなりさん)
7 御朱印日:2024年11月16日 00:00 |
|
(なりなりさん)
7 御朱印日:2024年11月16日 00:00 |
|
(はじめさん)
7 御朱印日:2024年11月3日 15:25 |
|
(はじめさん)
7 御朱印日:2024年11月3日 15:25 |
|
(HIMEKOさん)
15 御朱印日:2024年10月13日 00:00 |
|
(HIMEKOさん)
13 御朱印日:2024年10月13日 00:00 |
|
(HIMEKOさん)
10 御朱印日:2024年10月12日 00:00 |
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていませんみんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていませんみんなの参拝記録
|
|
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 山梨県南巨摩郡身延町身延3567 |
五畿八道 令制国 |
東海道 甲斐 |
アクセス | JR身延線塩之沢 徒歩33分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0556621011 |
FAX番号 | 0556621094 |
公式サイトURL | https://kuonji.jp/ |
御本尊 | 三宝尊 |
宗派 | 日蓮宗 総本山 |
創建・建立 | 弘安4年(1281年)日蓮上人(開山)南部実長(開基) |
由来 | 鎌倉時代、疫病や天災が相次ぐ末法の世、「法華経」をもってすべての人々を救おうとした日蓮聖人は、三度にわたり幕府に諫言(かんげん)を行いましたが、いずれも受け入れられることはありませんでした。当時、身延山は甲斐の国波木井(はきい)郷を治める地頭の南部実長公(さねなが)公の領地でした。日蓮聖人は信者であった実長の招きにより、1274(文永11)年5月17日、身延山に入山し、同年6月17日より鷹取山(たかとりやま)のふもとの西谷に構えた草庵を住処としました。このことにより、1274年5月17日を日蓮聖人身延入山の日、同年6月17日を身延山開闢(かいびゃく)の日としています。日蓮聖人は、これ以来足かけ9年の永きにわたり法華経の読誦(どくじゅ)と門弟たちの教導に終始し、1281(弘安4)年11月24日には旧庵を廃して本格的な堂宇を建築し、自ら「身延山妙法華院久遠寺」と命名されました。 翌1282(弘安5)年9月8日、日蓮聖人は病身を養うためと、両親の墓参のためにひとまず山を下り、常陸の国(現在の茨城県)に向かいましたが、同年10月13日、その途上の武蔵の国池上(現在の東京都大田区)にてその61年の生涯を閉じられました。そして、「いずくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」という日蓮聖人のご遺言のとおり、そのご遺骨は身延山に奉ぜられ、心霊とともに祀られました。 その後、身延山久遠寺は日蓮聖人の本弟子である六老僧の一人、日向(にこう)上人とその門流によって継承され、約200年後の1475(文明7)年、第11世日朝上人により、狭く湿気の多い西谷から現在の地へと移転され、伽藍(がらん)の整備がすすめられました。のちに、武田氏や徳川家の崇拝、外護(げご)を受けて栄え、1706(宝永3)年には、皇室勅願所ともなっています。 日蓮聖人のご入滅以来実に700有余年、法灯は連綿と絶えることなく、廟墓は歴代住職によって守護され、今日におよんでいます。日蓮聖人が法華経を読誦し、法華経に命をささげた霊境、身延山久遠寺。総本山として門下の厚い信仰を集め、広く日蓮聖人を仰ぐ人々の心の聖地として、日々参詣が絶えることがありません。 (身延山久遠寺HPより抜粋) |
神社・お寺情報 | 日蓮上人霊跡 日蓮宗五十七本山 甲斐百八霊場 百八番 ・絹本着色夏景山水図(国宝) ・絹本着色釈迦八相図(国指定重要文化財) ・宋版礼記正義 2冊(国指定重要文化財) ・本朝文粋 13巻(国指定重要文化財) |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】たくちゃん 【 最終 更新日時】2024/04/26 12:40:42 |