みんなの御朱印
再訪し、近くの御岳神社すぐ南の宮司様方にて受領。
(thonglor17さん) 2 御朱印日:2024年12月14日 10:50 |
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住所 | 埼玉県入間市野田562-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | 西武池袋線元加治 徒歩6分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 04-2932-1632 |
FAX番号 | 04-2932-2020 |
公式サイトURL | https://noda-shirahige-ontake.jimdofree.com/ |
御祭神 | 【主祭神】
猿田彦之命(さるたひこのみこと) 【合祀神】 須佐之男命(すさのおのみこと) 誉田別之命(ほんだわけのみこと) |
創建・建立 | 1243(寛元元)年 |
旧社格 | 村社 |
由来 | 境内掲示板
野田白髭神社旧本殿 市指定有形文化財(建造物) 指定年月日 平成十五年八月一日 野田白髭神社の創建は、寛元元年(一二四三)に三浦氏の勧進によるものとされる。また、『武蔵国郡村誌』『神社沿革録』には、寛永年間(一六二四~一六四四)に再建の記述があり、この旧本殿はそのときに造られたものと推定される。なお、大正十一年(一九二二)に本殿が造り直されるにあたり、今の場所に移築され、現在は愛宕神社、疱瘡神社をはじめ八社の社になっている。 旧本殿の構造は、間口一・二七m、奥行二・一七m(身舎一・一五m、向拝一・〇二m)、軒高二・四〇m、棟高三・ 六〇mを測る浜床付一間社流造である。柱の一部、屋根、床まわりは後世に造られたものと思れるが、軸部や組物は創建当時の様相をよく残している。 創建当時の部材には、中世神社建築の特徴が多く見られ江戶時代初期の再建を裏付けている。旧本殿は市内最古に属する神社建築のひとつである。 平成十七年三月一日 入間市教育委員会 入間市文化財保護審議委員会 |
神社・お寺情報 | 新編武藏風土記稿
高麗郡野田村 白髭社 村ノ鎭守ナリ 例祭三月十五日九月十九日ナリ 本山修驗寶正寺ノ持 境内掲示板 野田ばやし 市指定無形民俗文化財 指定年月日 平成十六年六月一日 野田ばやしは、野田地区に伝わる祭り屋台囃子である。その起源は、明治十五年に地区の若者六名が神田明神で一ヶ月間泊り込みで習得したものを、野田の地に広めたことによると伝えられている。流儀は神田流馬流である。 なお、囃子で使用される太鼓の内側には、皮を張り替える際に、元禄十四年(一七〇二)の紀年銘が記されていたとの説がある。 野田ばやしは、鎮守社白髭神社の例祭(四月と十月)と、五月の長徳寺の薬師大祭、それに七月の天王様で奉納されており、天王様を祭るための祇園囃子も同時に伝承されている。 平成十八年三月十五日 入間市教育委員会 入間市文化財保護審議委員会 境内碑 加美筆艸老翁之碑 加美筆艸老翁は通稱を宮臣良純と呼で 同國入間郡増形村なる成就院純興の 二郎なり十五歳の時當村の産土神と 坐す白鬚神社の別當寶性院良業の 義子となれり文字書く業▢能せる而□□ 甚慇懃に教らしれし▢は人慕ひて弟子と なり都合三百人に餘りしとそ然るを 可惜しくも去る明治六年八月二十九日に 七十一歳にて身退られたりしをその子 邦貴を初め教被りよし人▢同心▢▢せ 翁の功を石に勒して渡世に傳へ其恩頼 報はま欲しとて拙き予に事の故由は 更なり諡をさへ撰ひてよと切に請はるゝを 得辤み敢て▢て▢此はものしつるを翁の 御霊も平らけく所聞看と申す 明治八年八月 大講義 井上賴圀撰 關 ▢江書 |
例祭日 | 4月15日 春祭 7月15日 夏祭 10月15日 秋祭 |
神紋・寺紋 | 左三つ巴 |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2024/11/03 05:40:42 |