みんなの御朱印
(トクモ🐾ちゃん太さん)
13 御朱印日:2024年8月11日 10:30 |
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(トクモ🐾ちゃん太さん)
14 御朱印日:2024年8月11日 10:30 |
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(sugarさん)
15 御朱印日:2024年7月15日 12:20 |
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7月月替わり御朱印
(トクモ🐾ちゃん太さん) 17 御朱印日:2024年7月14日 00:00 |
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例大祭期間中は2種類のみ
(トクモ🐾ちゃん太さん) 40 御朱印日:2024年7月7日 10:30 |
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5月御朱印(兼務社草加神社にて拝受)
(トクモ🐾ちゃん太さん) 19 御朱印日:2024年5月19日 00:00 |
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(気ままな御朱印記録さん)
102 御朱印日:2024年2月11日 17:56 |
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(おがおが1262さん)
26 御朱印日:2023年12月3日 00:00 |
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草加神社で拝受。
(ギャズさん) 22 御朱印日:2023年9月13日 00:00 |
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(御坂美琴推しさん)
57 御朱印日:2023年9月10日 00:00 |
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住所 | 埼玉県草加市瀬崎3丁目3-24 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | 東武伊勢崎線谷塚 徒歩3分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 048-925-2901 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | https://sengenjinja.com/ |
御祭神 | 木花咲耶姫尊 |
創建・建立 | |
旧社格 | 旧村社 |
由来 | |
神社・お寺情報 | 境内掲示板
昭和五十一年十一月十五日指定 市指定有形文化財(建造物) 富士浅間神社本殿 草加市瀬崎町五〇〇番地 富士浅間神社は、木花開耶姫命を祭る。神社創建年次は明らかではないが、「新編武蔵風土記稿」によると、「浅間社、村の産神とす。善福寺持」とある。別当の善福寺は、寺伝によると、「寛永四年(一六二七)の開基にして、この浅間神社は、他の場所に祭られていたのを、明暦年間(一六五五~一六五七)に、現在地に移建した」と伝えられている。 現本殿は、天保十三年(一八四二)に再建されたことが本殿内にある擬宝珠銘からわかる。 富士山は古くから霊山として山岳信仰の対象となり、中世になると、富士行人と呼ばれる本山派修験の人たちが中心となり、一般民衆を引率して富士登山を行った。江戸時代になると、富士講の開祖と崇められた、角行東覚が出るに及んで、各地域に講が組織され、先達を中心とした講中が一団となって登山するようになっていった。 本殿の建物は、間口二・三二メートル、奥行三・六〇メートルの流造の一間社で、前面に軒唐破風、千鳥破風を配し、随所に彫刻を配し、贅を尽くしたものである。これは当時この地方に繁栄した、和晒・形付・紺屋等のゆかた染関連の業者と地元が協力し、この地の富士講が面目にかけて造営したものと思われる。 この本殿が造営された天保(一八三〇~一八四三)ごろは、構造材に波紋などを彫刻するだけでなく、その間に花鳥風月や日本の神話、中国の故事等を題材とした写実的な彫刻物で装飾することが盛んに行われた。内部は簡素であるが、外観を中心にした、いわゆる見せる社殿としての傾向が強くなった。この建物もその例外ではない。 現在では、このような豊富な彫刻を配した神社建造物は少なく、特にこの地域での社寺建築の装飾を研究する上からも重要なものである。 平成二十二年三月 草加市教育委員会 境内掲示板 市指定民俗文化財 瀬崎の冨士行及び富士塚 平成二十六年一月十四日指定 草加市瀬崎三丁目三番二十四号 富士山を信仰する人々で組織された富士講は、各地で独自な展開を見せてきましたが、草加市域では旧瀬崎村で「冨士行」と呼ぶ一連の行為を伝え、今なお受け継がれています。 「冨士行」は、富士山頂で神霊に祈誓を捧げることのほか、地元では元日と七月一日(富士山の山開きの日)は浅間神社の拝殿で、その他の月は社務所で「オツタエ」と呼ぶ富士の神霊を称える唱言が節を付けて唱えられます。 富士講の隆盛は、富士登山者の増加をもたらしましたが、当時の富士山は女人禁制で、しかも往復に相当の日数を要したため、容易に登れる山ではありませんでした。そこで、誰もが身軽に登山できるように築かれた富士山を、富士塚と呼んでいます。 瀬崎の富士塚は大正五年(一九一六)八月に竣工し、地元はもとより、近隣の富士講の講員が今なお巡拝に訪れています。 各地の富士講・富士塚が廃れていく中、往時に近い形で今に伝わる瀬崎の「冨士行」・「富士塚」は全国的に見ても貴重な存在であり、大切な文化遺産となっています。 ※富士塚の規模:高さ約四m、横幅十・四m、奥行八・六m 平成二十六年六月 草加市教育委員会 境内碑 市指定文化財「瀬崎の富士」修復記念碑 瀬崎の富士塚は、明治四十年五月、浅間神社に合祀された天神社の跡地に、大正五年九月、浅間神社の奥宮として地元の冨士行の講員によって築造されました。 富士山の溶岩石でその山体を包み、富士山の五合目から山頂までの御姿を写しています。 その後、昭和四十七年には、富士塚の山頂に浅間神社の御祭神「木花咲耶姫命」の姉神である「磐長姫命」を祀る小御嶽神社を勧請しています。 平成二十六年一月には、他に誇り得る貴重な文化遺産として「瀬崎の冨士行」と共に草加市から民俗文化財の指定を受けています。 ここに、百年前に築造された先人への思いと地域の歴史文化の継承に資するため、往時の姿への修復と環境整備を発起し、多くの皆様方からのご協賛を得て取組の完了を見るに至るものです。 塚の規模 奥行 約八・六m 横幅 約十・四m 山頂高 約四・〇m 石祠高 約五・三m 修復工事 平成二十七年九月一日 仮遷座・工事安全祈願祭 平成二十八年二月二十日 遷座祭 平成二十八年二月二十一日 竣功報告祭 |
例祭日 | 7月第一日曜 |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2022/08/28 07:40:06 |