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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 神奈川県横浜市南区大岡1-5-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | 横浜市ブルーライン弘明寺 徒歩6分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 045-714-6200 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://wakamiya-yokohama.net/ |
御祭神 | 大雀命(おおささぎのみこと)=仁徳天皇
誉田別命(ほむだわけのみこと) 武甕槌命(たけみかずちのみこと) 天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ) 道志留辺命(みちしるべのみこと) 猿田彦命(さるたひこのみこと) 伊邪那美命(いざなみのみこと) 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと) 事解男命(ことさかのおのみこと) |
創建・建立 | 建久4年(西暦1193年) |
旧社格 | 村社 |
由来 | 源頼朝が鎌倉に幕府を開くにあたり、久良岐郡の今の横浜の地は鎌倉の鬼門にあたるので、鎮護のため頼朝は数カ所に社寺を創建、報賽所としました。
若宮八幡宮はこうした由縁の地に源頼朝が建久4年(1193年)9月7日鶴岡八幡宮の境内社なる若宮八幡宮の別宮として創建されたと伝えられております。 当初は若宮八幡大神と号し、神仏習合の社でその後永く久良岐郡大岡川村下大岡の鎮守として諸人の崇敬が大変厚かった。 建立以来今日に至るまで凡そ800余年の永い間、この宮は平和と豊かなる生活即ち天下泰平、五穀豊穣の祈りの庭であり、氏子即ち神の子としての魂の尊厳を自覚する聖域として世の人々によって護持せられてまいりました。 永禄7年(1564年)北条氏康の命によって権大僧正源秀天(みなもとのしゅうてん)が当若宮八幡宮の別当となり、寶積(ほうしゃく)院と称し、以来現在に至っております。 明治6年(1873年)村社に列せられ、ついで明治39年(1906年)内務省令による神社統合の趣旨に基づき、近隣8社の氏子信徒が協議の上、明治41年(1908年)11月25日若宮八幡宮に合祀され、20ヶ町の総鎮守となりました。 大正15年(1926年)8月27日横浜市幣帛供進の指定社となり、昭和21年(1946年)宗教法人法令に依り神社本庁所属の神社となりました。 終戦後道徳は弛緩し、思想低下し世情混迷頽廃をうれい、20ヶ町の氏子有志は神威の加護のもとに恒久の平和を祈念し祖国再建の成就を念願し昭和22年時の宮司寶積育三は若宮八幡宮奉賛会(初代会長渡部清治)を組織し御由緒深き若宮八幡宮を維持、愈々神威顕揚に奉仕すると共に念願達成に努めました。 昭和36年(1961年)私たちの祖先が建立した床しい茅葺きの社殿もいたく古び、風雨に耐え難くなりましたので、時の宮司寶積千一郎、奉賛会々長加藤五十春両氏の熱意により、氏子20ヶ町の奉賛会理事諸氏と協議の上、御造営奉賛会を組織し、広く浄財を集め昭和39年(1964年)10月、現在の八幡造銅板葺の御社殿(本殿・幣殿・拝殿)及び神楽殿、社務所を造営再建いたし今日に至っております。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | 8月第4土曜・日曜日 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】龍太郎 【 最終 更新日時】2018/11/09 13:12:31 |