華籠神社 (花篭神社) 参拝記録 (天地悠久さん)
本殿の背後から両脇を中心とした磐座信仰を始原とした社のようです。背後に一体、さらにその奥に一体、右側(向かって左側)に一体、左後ろに一体とさらにその奥にも一体。また社前には計三体の磐座と思われる岩が座しています。以上が確認済みのもの。縄文時代から人々が生活を営んだ地でもあり、ロマンが膨らみます。創建にまつわる伝承として、「吉野山」の子守明神(吉野水分神社)にゆかりのある人物が花籠を天武天皇に奉ったところ、大いに喜び子守明神を勧請してきたとあります。したがってご祭神は天之水分神というところでしょうか。また地元伝承として、源義経と静御前が「吉野山」から「喜佐谷」を下り、菜摘の大谷家に逗留したというものがあるようです。義経はその後奥州へ向かいますが、静御前は当地に残り花籠を編んでいたとか。いずれの伝承も後世の附会のように思われますが、天武天皇や義経、静御前ゆかりの地であったようです。
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