春日神社 (橿原市内膳町) 参拝記録 (天地悠久さん)
「内膳町」については「奈良県史」に以下のようにあるようです。「昭和十八年ごろ奈良県宛てに当社神職の提出書に口碑として『上古より天鈿女命の後裔が内膳司として魚類料理の職を以て長く皇室の御用を勤め居られしを以て此れ内膳司が神縁に依りて御神霊を観招し奉祀せられたるに起因し…(中略)…境内に続きては内膳屋敷・代官屋敷と称せられる地域あり』とある」と。町名(村名)由来はこれによるもので、当社創建もこれに関わると考えられます。原初は天鈿女命を祀る社であったと思われます。中世には興福寺の所領であったとされることから、春日大社から四神が勧請されたのではないかと。なお天鈿女命はご本殿の南側に、小祠ながらも立派な覆屋で鎮まっています。当地名が文献に最初に現れるのは、春日大社の文書。貞和三年(1347年)で「内善」とあるようです。また応永六年(1399年)にも同地名にてあるとのこと。ところが天文十五年(1546年)には「内膳」とあるため、この間に変わったと思われます。なお江戸時代には「内膳村」であったものが、明治には「耳成村」の大字になっています。
おすすめ度:
おすすめ度: