津風呂春日神社 (吉野町) 参拝記録 (天地悠久さん)
「津風呂湖」南岸畔に鎮座。「矢治峠(やじとうげ)」の北面、急斜面の山腹に社殿、鳥居前の道路向こうを下ると「津風呂湖」。「壬申の乱」において、天武天皇が陣容を整え出陣した地であると伝わります。「矢治峠」を越えた先は「吉野川」沿いの「菜摘(旧 夏見)」、その下流すぐは「吉野宮」が営まれた「宮瀧遺跡」。現在は薮中の峠越えは困難なものの、わずか200mほどで「吉野川」へ。天武天皇のゆかりの地はすぐそこに。大海人皇子は天武天皇元年(672年)6月24日、「吉野宮」を出陣し「津振川」へ到着し陣容を整え再出陣。この「津振川」が「津風呂川」であると。「津風呂川」は昭和三十六年完成の「津風呂ダム」により、水かさが上がり「津風呂湖」に。大海人皇子は「矢治峠」を越えたと考えられるので、当社地こそが再出陣をした地であるということに。「津風呂ダム」建設とともに移住を余儀なくされた一部住民72戸の氏神が当社であったとのこと。移住とともに奈良市山陵町(みささぎちょう)に遷座。旧地を思慕した同年に分霊を旧境内に遷したとされています。
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