七所社 参拝記録 (ペルシャさん)

七所社の参拝記録(ペルシャさん)
七所社の参拝記録(ペルシャさん)
こちらは元々は「延喜式神名帳」にも乗っている御田神社がありました。「尾張志」によれば、室町時代の1425年、当時の岩塚城主・吉田守重が熱田の七社を勧請して祀ったため七所神社と呼ぶようになったとあります。御田神社は熱田社に納めるための稲を作っていたとされるため、その縁で勧請したのでしょう。 神社の由緒板によれば、『岩塚村に延喜式の愛智郡御田神社、本国帳の従三位御田天神とあるのは、七所明神を云うなり』とあり、「延喜式」に記載されている御田神社が七所社だと言っている。また、神社に祭られている神鏡に元慶八年(884)の銘があるのでその頃に創建されたとのことだ。 しかし、調べてみると銘は「元慶八年正月十五日御田天神」とあり、七所社ではなくこれは御田神社の由緒だと思われる。また、「延喜式神名帳」に記載のある御田神社は1座とあることから、明らかに七所社とは別であろう。御田神社は現在、七所社境内に摂社として現存している。 七所社は前述したようにずっと後年の1425年の室町時代に勧請されたのであろう。由緒板によると、勧請した七社とその時の祭神は以下になります。 熱田本宮:天照大神 八剣宮 :日本武尊(ヤマトタケル) 日割宮 :天忍穂耳命(アマノオシホミミ) 高倉宮 :高倉下(タカクラジ) 大幸田宮:倉稲魂命(ウカノミタマ) 氷上宮 :宮簀媛(ミヤズヒメ) 源田夫宮:乎止与(オトヨ) これは今の熱田神宮とほぼ同じです。ところが、「愛知県神社名鑑」によると、神社本庁に登録されている祭神は以下のようになっています。 熱田本宮:日本武尊 八剣宮 :草薙御剣 日割宮 :軻遇突智命(カグツチ) 高倉宮 :成務天皇(セイムテンノウ) 大幸田宮:倉稲魂命(ウカノミタマ) 氷上宮 :宮簀媛(ミヤズヒメ) 源田夫宮:乎止与(オトヨ) 神社本庁に登録されている祭神と、いま現地の説明板に示されている祭神となぜ異なるのか。妄想すれば、現在の説明板の祭神は熱田神宮に合わせてつい最近変更したのでしょう。少なくとも、神社庁が発足した昭和初期までは「愛知県神社名鑑」に登録されている祭神だったと思われます。 しかし、それにしても祭神の統一感がありません。成務天皇はヤマトタケルの異母弟で、景行天皇の次代に天皇になった人ですが、尾張にも熱田にも全く関係のない天皇です。恐らく日本中でも成務天皇が祭神となっていた神社は高倉宮だけでしょう。 カグツチは伊弉冉(イザナミ)の子供で、主に秋葉社に祀られている火の神です。尾張氏の拠点であるあゆち潟は製塩が盛んだったため、火を祀る軻遇槌社が多く、後世の尾張藩も軻遇槌社を建てることを推奨したので、尾張には軻遇槌社が昔から多かったので、熱田の摂社として祀られていたとしてもおかしくはありませんが、尾張氏とは何の関係もありません。 妄想すれば、草薙剣を祀る八剣宮が作られた後と、熱田神宮の宮司が尾張氏から藤原氏に変わったあたりで、大きな変革があったのでしょう。

おすすめ度: ★★★★
参拝日:2020年5月3日 21:58

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