山崎神社 (砧倉神社) 参拝記録 (天地悠久さん)
「丹後國風土記」残闕などは「砧倉明神社」と称しています。「砧倉」に関しては地名「十倉」から、「とくら」(「とうくら」とするものも)でしょうか。かつては南隣村(「伊佐津川」上流)の「真倉(まぐら)」と「十倉」両村の氏神であったと伝わります。「真倉小字サミ田」に鎮座していたのが、水害により現在の「山崎」に流れ着き再建がなされたようです。一方「丹哥府志」は「一宮九社明神」と称しています。何をもって「一宮」であるのかは不明。また「九社」が何を意味するのかも。関連が考えられるものとして、「女布(にょう)」の日原神社において、白鳳元年(670年頃か)に「九会神事」が起こり、翌年から九社の御輿を集めて渡御が行われていたというのがあります。日原神社は「十倉」の北西隣地。ご祭神は天照皇大神荒御魂。なぜこの神が祀られるのかは不明。旧鎮座地の「真倉」に秘密があるのかも。また「サミ田」から、かつて製鉄が行われていた可能性も。
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