王塚神社 参拝記録 (天地悠久さん)
当社概要に対して2通りの説有り。地元伝承は熯速日命(カンハヤヒノミコト)の塚であるとのこと。熯速日命(別名 樋速日命)は紀の一書には甕速日神の御子神とされ、天照大御神と素盞鳴尊との誓約(うけひ)により生まれたと記されます。一方記には伊邪那美神が軻具突智命を生んだために神避り、怒った伊邪那岐命が斬りますが、その際に剣の鋒端より甕速日神、樋速日神、武甕槌神の三柱が生まれたと記しています。もう一つの説は「山添村いわくら文化研究会」のもの。白鳥座のデネブを表していると。そもそも古代人は「鍋倉渓」を「天の川」になぞらえ、アルタイル・ベガ・アンタレスといった磐座が配されているという説を上げています。この王塚を含めて「夏の大三角形」が形成、つまり塚(古墳)ではなく祭祀場であったということに。この説は、「天の川」、「夏の大三角形」の位置がきれいに重なることから説得力のあるもの。地元伝承として残っているものは、神野山大神に祀られる神が混同されてしまったのでしょうか。
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