屯倉神社 (野洲市) 参拝記録 (天地悠久さん)
近江国においては、安閑天皇二年(535年)に「葦浦屯倉」が設置されたことが紀に見えます。これが当地周辺であったということ。この「葦浦屯倉」は当地を支配した安国造が関与したと思われます。野洲郡(やすのこおり)の地名由来となった(あるいは地名が氏族由来となったか)氏族。氏神は建部大社、近淡海之安値(ちかつあふみのやすのあたひ)とも。日子坐王が天之御影神の娘である息長水依姫を娶って生まれた、水穂真若王を祖とする氏族。御上神社創建にも関わっていると思われます。記にはこの安国造の祖の一柱でもある意冨多牟和気(オホタムワケ)の娘が、日本武尊(倭建命)の妃になったとあります。当社にて祀られる所以はこのことと思います。
おすすめ度:
おすすめ度: