科長神社 参拝記録 (天地悠久さん)
元々は二上山上に鎮座し「二上権現」と称されていたものの、1238年に現社地に遷座された社。元より風神を祀る社であったかと思われます。当地には恵比須神社(土祖神社とも)が鎮座していたとか。現在は末社となっているようです。拝殿と向かい合うように鎮座するのが、その元の恵比須神社でしょうか。遷座させたのは藤原頼孝。祖神等を勧請合祀し「八社大明神」と社名を変えたため、それが江戸時代まで続いていたらしく、灯籠や扁額にもその社名が残っています。現鎮座地は「王陵の谷」と称され、4天皇と聖徳太子の陵墓が密集しています。その元々鎮座していた恵比須神社ですが、「土祖神社」であったとする資料もあります。ご祭神も息長宿禰と葛城高額姫命であると。もちろん神功皇后の父母神。当地には神功皇后の出生地であるという伝承があるようです。(長くなったので続きは次回参拝時に)
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