巌神社 参拝記録 (天地悠久さん)
「天野川」中流域北岸、古い集落内に鎮座。北外れには息長氏が神奈備山とした思われる「日撫山」があり、東方すぐには息長宿禰王を葬ったとされる山津照神社古墳と、息長氏が拠点としていた地。当社創建時期は不詳。滋賀県神社庁は「往古岩尾大権現と称した。無量光寺の鎮守で、併せて新庄村の産土神とした。古伝によると、当社は小字堂の内に鎮座していたが、一時東端の丘上に遷し、更に120年前、現在地に奉遷したといわれる」と。無量光寺は現在見当たらず不明、また小字「堂の内」もどこか不明。現在の大字「新庄」で「丘」といえる地は「日撫山」の南東、北陸自動車道が通る下辺りか。社名、ご祭神からかつては岩が御神体であったと想像されます。現在は境内に見当たらず、失われたのか或いは露出岩盤であるため動かすことができなかったのか。
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