孫太郎稲荷神社 参拝記録 (天地悠久さん)
休ヶ岡八幡宮の末社。創建由緒については以下の通りかと。藤原秀郷(俵藤太)の四世孫藤原頼行が下野国に稲荷社として創建。衰微するも、後裔の足利孫太郎あるいは佐野孫太郎義綱が再興させたために「孫太郎稲荷社」と改称。佐野氏が播磨国に移住し分霊勧請。現在も播磨国には孫太郎稲荷社が鎮座しているようです。ところが孫太郎稲荷が飢饉に苦しむ民のため姫路城の米蔵を破ったことが原因で、追い出されることに。この時に仲立ちをしたのが刀工 三条小鍛冶(宗近)。貴族でありながら刀を打ったという平安後期の人。三条小鍛冶が童子に化身した小狐稲荷とともに作刀したという説話も。その「小狐丸」という刀は石切劔箭神社が所蔵。能の「小鍛冶」でも知られます。その後裔が奈良市尼ヶ辻辺りに住み着いたことから、おそらく当地に遷座させたものと思われます。
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