素盞嗚神社 (斑鳩町興留) 参拝記録 (天地悠久さん)
(年末のSDカード紛失により写真消失、写真は自身ブログよりダウンロード)
「斑鳩町史」は村の西部に位置するとしていますが、現在の「興留」の東部。東隣の「阿波村」との境は当地より東方すぐと推されるため、誤植または遷座があったのかも。「富雄川」の西方にあたりますが、間にはその「阿波村」を挟んでいます。創建由緒不詳。社頭案内は、「興留」の地名の起こりとされる天智天皇(670年頃)の頃の貴人 興間人王子(オキマビトノオウジ=後の天武天皇)の宮殿内(興留五丁目一・二・四付近)に祀られていた神々を遷座されて旧指定村社となっていたのが現在の神社と伝えられていますと。興間人王子は天渟中原瀛真人天皇(天武天皇)のこと。「天智天皇の頃の貴人」としていますが、天智天皇の弟。その天武天皇の宮殿があったというが、不明。「興留五丁目一・二・四付近」というのは、県道5号線の東方、現在の「万代 法隆寺店」の道路向かい辺り。遷座時期・由緒は不明。県指定文化財登録の檜皮葺のご本殿は、室町末期のものと推定、既にその頃には遷座・創建がなされていたということに。狛犬は名工 丹波佐吉によるもの。
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