桜間神社 参拝記録 (フクタロウさん)
石碑文中には、鎌倉時代に編集された夫木(ふぼく)和歌集で桜間の池は「鏡のように美しい池」と詠まれている、とある。正式な記録はないが、池の面積は両端が見えないほど広大だったと伝えられている。しかしその後、吉野川から流れる土砂の堆積(たいせき)で江戸時代には小池ほどになった。
美しい湖のような池があったことを後世に伝えようと、1828年、徳島藩12代藩主・蜂須賀斉昌(なりまさ)が石碑建立を命じる。約6千人を動員し、海部郡東由岐(現・美波町)の海岸から約75トンの巨岩を運んだ。運搬から石碑完成までに、約7年かかったとされている。…..犠牲もおおきかったであろう。傍迷惑な話である。
おすすめ度: ★★★
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