志布比神社 参拝記録 (天地悠久さん)
「網野町史」にはまず、当社を式内社 志布比神社、御来屋神社(みくいやじんじゃ)、若宮神社の三社が合体したものとしています。新羅国王子であった天日槍神が垂仁天皇の御代、九つの品物(日の鏡・熊の神籬・出石の太刀・羽太玉・足高玉・金の鉾・高馬鵜・赤石玉・橘)をこの国に伝えて天皇に献上したというもの。この時、天日槍神の船は「筥石(箱石)」に到着。水先案内をしたのが塩土老翁(塩椎神)であると。「筥石(箱石)」は当社地から西へ2~3kmの海岸かと思われます。そして先導した塩土老翁の神霊を「塩井の濱」の清き地を選び、「宮故(くご)」という地に鎮めて祀ったのが当社ということに。この「宮故」は「供御」(天皇や貴人の食事)と捉えることができ、御厨と大いに関係があります。(長くなりそうなので今回はこの辺で)
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