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参拝日:2022年1月4日 13:00
どなたもおられず情報も有りませんでしたのでいただけませんでした。 が あきらめて帰ろうとした時に宮司さんが戻られて御朱印を書いていただく事が出来ました。 地図の位置がかなり南でしたので調整もしました。
参拝日:2024年3月2日 13:29
★★★ 参拝日:2022年3月19日 22:21
★★★★★ 参拝日:2022年1月27日 00:00
宇佐神宮から勧請されて創建された神社で、粥占神事で柑橘系果物の豊作具合が占われていました。同じく境内にある太刀宮と本社の御朱印が拝受できます。
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※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 和歌山県有田市宮原町道字辻貝359番地 |
五畿八道 令制国 |
南海道 紀伊 |
アクセス | JR紀勢本線紀伊宮原 徒歩8分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0737-88-2708 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://miyaharajinja.or.jp |
御祭神 | 気長足姫尊 誉田別尊 多紀理姫命 多岐都姫命 市杵島姫命 |
創建・建立 | 弘仁七年(716年) |
旧社格 | |
由来 | 祭神の誉田別尊は、十五代天皇応神天皇のことである。気長足姫尊は、第九代開化天皇の曽曽孫で、第十四代仲哀天皇の皇后となり、神功皇后とよばれる。時に筑紫国の熊襲の反乱を鎮めるため天皇と共に九州に渡られたが、背後にある朝鮮半島の新羅国を討つことの必要を感じられ、天皇の喪を秘して海に渡り、新羅を討たれた。帰国後に誉田別皇子を出産、幼帝を擁立して摂政の位につかれ、政務を執られた。比売大神(多伎理姫命、多伎都姫命、市杵島姫命)は天照大神のお子たちで、神功皇后が三韓への出陣に際し、この三神と戦勝祈願されたという。 当宮八幡大神は五十二代瑳峨天皇の御宇、弘仁七年丙申年(八一六)年の草創である。宮原庄六ヵ村の産子神として鎮座された。「文徳照臨の尊神として武運監護の霊祠なり」と古くから言われ尊崇祭祀された。 その後争乱の世を経て久しく荒れ果てたままであったところ一二八四年(鎌倉時代)にようやく再興された。この時法燈国師が再開眼の供養をしたといわれている。更に一四四一年(室町時代)に源常久、一五一六年に源順家、一五四六年に萬徳丸・源某ら、この地方の豪族達が社殿の修理・寄進された。 一五八五年の豊臣秀吉の紀州攻めにより、縁起巻物や神領証文などが没収された。 一六〇八年(江戸時代)の棟札により再興された事がうかがわれる。一六二二年に御殿葺替え、一六七四年に配殿、鐘楼の再建、昭和五十一年氏子の寄進により社務所・参集所の再建がなされ、平成十三年には拝殿が改築された。また、末社・太刀宮は古くから病気平癒で名高く、御祈願や御礼参りには太刀を持って参り奉納するならわしとなっている。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | 10月14日(斉行日 10月第2日曜日) |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】神祇伯 【 最終 更新日時】2022/01/31 15:39:18 |