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★★★★ 参拝日:2024年3月9日 08:06
参拝日:2021年11月7日 12:00
参拝日:2021年9月23日 14:51
★★★★★ 参拝日:2021年7月29日 00:00
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住所 | 埼玉県川越市鴨田716 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | JR川越線南古谷 徒歩43分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0492232709 |
FAX番号 | 0492232713 |
公式サイトURL | https://www.ichijo-in.jp/ |
御本尊 | 阿弥陀三尊 |
宗派 | 天台宗 |
創建・建立 | 永仁4年(1296年) |
由来 | 新編武藏風土記稿
入間郡鴨田村 一乘院 天台宗仙波中院末 星光山ト號ス 本尊彌陀ハ日本四十八體ノ一軀ニシテ弘法大師ノ作 一尺一寸ノ坐像ヲ安シ信濃國善光寺ヲ模シテ新善光寺ト云 當寺ノ開闢ヲ尋ルニ伏見院御宇永仁四年ノ草創ナリ 開山尊海正慶元年十一月廿日當寺ニテ寂セシ由傳フ 此尊海ハ高德ノ聞エ有テ仙波喜多院ヲ中興セシ僧ナリ ソコニテハ建武元年十一月廿日ノ寂ナリト云ヘハ年代スコシクタカヘリ ソレラノコトハ喜多院ノ條ニ出タレハコヽニ略ス 樓門 樓上ニ寶永二年ノ鑄鐘ヲカク 銘文事實ニアツカラサレハコヽニ略ス 觀音堂 正觀音立像長二尺ナルヲ安ス 行基ノ作 稻荷社 山王社 辨天社 元祿年中建立セリ 緣起アレト事實ニ取ヘキコトナケレハ漏セリ 開山尊海墓 石ノサマアタラシケレハ 後世立シモノナルヘシ 傍ニ貞治三年及ヒ天文三年ノ古碑アリ 当院は第九十二代 伏見天皇の時代、永仁4年(1296年)に仙波中院(川越市)・川田谷泉福寺(桶川市)の住職をされた尊海僧正により開山されました。 境内掲示板 一乗院のおこり 今からおよそ七〇〇年ほど前の鎌倉時代には日本の国に多くの偉いお坊さんが現れました。その中のひとりに尊海という修行をつまれ、学問にも優れたお坊さんがおりました。その方はその時代は日蓮宗という宗を開かれた日蓮上人の先生にもなったほどです。 尊海は、のちに武蔵国に来られ、今の川越仙波中院と川田谷の泉福寺の住職をされ、そして一乗院をつくったのです。これは伏見天皇(永仁四年、一二九四年)の時で、この三つの寺が、それからというもの関東の天台宗の坊さんの学問、修行の中心となり、沢山の坊さんを育てました。 一乗院歴代住職は開祖より二十三代までが境内西側墓地にり、ここには 二十四代 晃宥 明治十二年七月二日 二十五代 晃運 大正七年四月二日 二十六代 晃泰 昭和二十五年十一月十二日 二十七代 晃俊 平成五年二月二十一日 が埋葬されております 平成六年 第二十八世 晃秀代 境内碑 一乗院由緒 開基永仁四年(西暦一二九六) 第九十一代伏見天皇御宇 星野山中興尊海僧正にて建立さる 星光山新善光寺一乗法華教院と号す ご本尊一光三尊阿弥陀如来 長野県善光寺御本尊と同一 一乗院ご詠歌 沼北の夜空に光る星の下 法華経の〇〇有り難きかな 平成四年壬申八月 晃俊代 |
神社・お寺情報 | 境内入口には、石積基壇の上に文政5年に造顕された「厄除延命地蔵尊」(5尺2寸)があり、本堂には、弘法大師空海の作といわれる木仏の坐像が「お前立ち」として秘仏の前にある。
石地蔵 維持文政五年壬午十二月 當寺二十二世法印権大僧都尭運欽達代 全国善光寺会 会員 http://www.zenkojikai.com/kanto/ka-35.html 関東百八地蔵・第2番札所 境内掲示板 百八地蔵尊霊場第二番厄除延命地蔵尊 江戸時代のこと、上尾の方から川越のあるお寺へ地蔵を納めに行く途中、今の芳野地区まで来たところ急に大地震が起こり、進むことが出来ません。 やっと一乗院へ運び入れました。まもなく地震がおさまりましたが、川越のあちこちで大きな被害があったわりに芳野地区では少なくてすみました。それから、そのままこの地蔵様は、一乗院に安置され、地震から守る地蔵様といわれています。 平成六年 第二十八世 晃秀代 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2024/03/10 08:04:31 |