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★★★ 参拝日:2014年9月21日 14:04
秩父34観音霊場 第8番札所 【納経所】 納経:300円 駐車場あり
参拝日:2024年7月31日 16:21
参拝日:2024年3月16日 15:54
★★★ 参拝日:2024年1月29日 11:30
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住所 | 埼玉県秩父郡横瀬町横瀬598 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | 西武秩父線横瀬 徒歩19分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0494-23-3413 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | https://www.saizen.or.jp/ |
御本尊 | 十一面観世音菩薩 |
宗派 | 臨済宗南禅寺派 |
創建・建立 | 文暦元年(1234年) |
由来 | 當山の草創は鎌倉時代初期(1200年頃)一人の旅の僧侶が武甲山の麓にお堂(根岸堂)を建立したことに始まります。
文暦元年(1234)十三人の権者によって秩父盆地に三十三観音霊場が成立 當山も十一面観音を御本尊として三十一番札所に定められます。※秩父札所の成立年代は諸説あります。 恵心僧都作と伝えられている 十一面観世音菩薩は【別名 持山観音】と呼ばれており十一面観音では珍しく坐像です。 秘仏であり非公開ですが12年に1度 午歳に御開帳されます。これは文暦元年が甲午(きのえうま)歳であったことに起因すると伝えられています。 朝廷と貴族からの寄進や庇護で幾多の大伽藍を有する西国礼所 源頼朝に始まる鎌倉幕府の庇護のもと発展した坂東礼所 そして武甲山をはじめ三峰・両神・慈光三山を基に修行者の修験道場として発展した秩父礼所 それぞれ規模や歴史の差はありますが300年後には日本百観音霊場として成立し広く知られていくようになります。 鎌倉幕府が成立し北条政権へと安定を迎えた頃、京都や鎌倉を中心に臨済宗が興隆しはじめます。 さらに室町時代になると多くの優秀な禅僧が登場し全国へ広がり始めます。秩父にも鎌倉円覚寺の白涯寛正禅師が熊谷直俊公の招請に応じて応安元年(1373)圓福禅寺(幻住派)を開山されます。 以後、道場として多くの弟子を育成し白涯禅の本派として発展しました。一時は末寺が300もあったそうです。 白涯禅師亡き後、圓福寺三世となっていた竹印昌岩禅師が長興寺(五番)を開山し続いて寛正元年(1460)西禅(善)寺を開山されます。 禅宗寺院でありながら阿弥陀三尊仏を御本尊とした背景は、おそらく元々古くから浄土思想が庶民に信仰されていてお堂が存在していたこと、根古屋城下には複数の寺院が建立されていた、または建立されつつあったこと、見事な若々しいカエデがあったこと、それらを受け入れる禅宗の柔軟さがあったことによると考えられます。 また、荒廃していた根岸堂を當山が別当寺として管理するようになるのもこの頃です。室町時代の長享二年(1488)秩父巡礼、最古の文献『長享番付』には【三一番 西禅寺 十一面】と記録されています。 永正十二年(1515) 関東管領に上杉憲房が就任すると戦乱で荒廃していた根古屋城を再整備します。 同時に中興開基として當山の諸堂の建立、伽藍の整備を進め、根岸堂も境内へ移築し観音様を直接管理することになります。 これを機会に西禅寺から西善寺と寺名も変わります。 |
神社・お寺情報 | 札所:東国花の寺・埼玉1番
秩父三十四観音・第8番 御詠歌:ただたのめ まことの時は 西善寺 きたりむかへん 弥陀の三尊 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】zx14r 【 最終 更新日時】2023/08/20 13:31:18 |